【訃報の詳細】若嶋津六夫さんの死因は肺炎、69歳で迎えた最期

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【訃報の詳細】若嶋津六夫さんの死因は肺炎、69歳で迎えた最期
【訃報の詳細】若嶋津六夫さんの死因は肺炎、69歳で迎えた最期
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日本相撲協会は2026年3月16日、元大関若嶋津の日高六男さんが前日の15日に亡くなったと発表しました。

スポーツニッポンの報道によると、亡くなったのは15日午前11時34分。千葉県鎌ケ谷市内の病院で、肺炎のため息を引き取りました。

妻のみづえさんの説明では、2025年夏ごろから体調を崩して入院していたとされています。最期は家族に見守られていたと報じられました。

死去に関する基本情報は次のとおりです。

項目内容
死去日2026年3月15日
死因肺炎
享年69歳
本名日高六男
四股名若嶋津六夫
出身地鹿児島県熊毛郡中種子町
最後の入院先千葉県鎌ケ谷市内の病院
妻高田みづえさん(日高みづえさん)
元所属部屋二子山部屋
最高位大関

通夜・葬儀・告別式はいつ行われた?

若嶋津六夫死去
【画像】若嶋津 六夫 死去 関連ショット

日本相撲協会からの発表を受け、葬儀の日程も報道されました。

- 通夜:2026年3月23日午後6時
- 葬儀・告別式:2026年3月24日午前10時
- 会場:昭和セレモニー シティホール市川(千葉県市川市)
- 喪主:妻の日高みづえさん

3月23日の通夜には約400人が参列。元横綱若乃花の花田虎上さん、現二所ノ関親方の元横綱稀勢の里関、横綱大の里関ら、相撲界の関係者が故人をしのびました。

翌24日の葬儀・告別式には約300人が参列し、日本相撲協会の八角理事長も出席しました。弔辞は元大関琴風の尾車浩一さんが読み上げました。

出棺時には会場周辺に集まった人々から「若嶋津」と声がかかり、拍手で見送られたと報じられています。

【2017年の転倒事故】頭部手術と長期リハビリ、その後の生活

若嶋津六夫死去
【写真】若嶋津 六夫 死去 近影・注目カット

若嶋津さんの晩年を語るうえで欠かせないのが、2017年10月19日に起きた転倒事故です。

当時60歳だった若嶋津さんは、千葉県船橋市行田の市道で倒れているところを通行人に発見されました。近くには自転車が倒れており、自転車で移動中に転倒して頭部を強打したと報道されました。

4時間半に及んだ頭部の緊急手術

若嶋津六夫死去
【資料】若嶋津 六夫 死去 報道・メディア記録

事故後、市内の病院に救急搬送された若嶋津さんは、同日午後5時20分ごろから頭部の緊急手術を受けました。

手術は約4時間半に及び、終了後は集中治療室(ICU)で治療を受けました。一時は意識不明の重体と報じられ、相撲界にも大きな衝撃が広がりました。

当時の報道では、頭部に深刻な損傷を負い、緊急手術が必要な状態だったことが伝えられています。

その後、少しずつ回復に向かいました。

長期にわたったリハビリ生活

手術を乗り越えたものの、事故以前の生活にすぐ戻れたわけではありませんでした。

2017年の事故以降、若嶋津さんは長期のリハビリ生活を続けました。

2023年12月に東京都内で開かれた「感謝の集い」では、家族に車椅子を押されて会場に入場した姿が報じられています。

同席した妻のみづえさんや長男、長女とともに壇上に立ち、本人も関係者への感謝を伝えました。

この集いは、日本相撲協会を退職した2023年7月を経て開かれたものでした。

長年にわたる療養のなかでも、師匠として育てた力士や後援者とのつながりは続いていたことがうかがえます。

事故から約9年、肺炎による死去

2017年の転倒事故と2026年の死去は、分けて理解する必要があります。

若嶋津さんの死因として発表されたのは肺炎です。2017年の事故による頭部の負傷が直接の死因だったという発表はありません。

長年の療養生活を送った後、2025年夏ごろから体調を崩して入院し、2026年3月15日に亡くなりました。

晩年の健康状態について、報道で伝えられているのはこの経過です。

【現役時代の経歴】大関昇進から幕内優勝2回までの軌跡

若嶋津六夫さんは、1957年1月12日、鹿児島県熊毛郡中種子町で生まれました。

本名は日高六男。鹿児島商工高校(現在の樟南高校)で相撲に取り組み、卒業後に大相撲の世界へ進みました。

入門先は、元横綱初代若乃花が師匠を務めていた二子山部屋です。

1975年3月場所で初土俵を踏み、そこから約12年間にわたって土俵で活躍しました。

大関昇進を決めた1982年九州場所

若嶋津さんが大関への道を切り開いたのは1982年です。

同年の秋場所と九州場所で関脇として連続12勝を挙げ、安定した実力を証明しました。

この成績が評価され、1982年九州場所後に大関昇進が決定。1983年1月場所から新大関として土俵に上がりました。

当時の相撲界では、北の湖、千代の富士など強豪力士が存在感を放っていました。そのなかで若嶋津さんは、スピードと技術を武器に上位陣へ食い込みました。

1984年に達成した2度の幕内優勝

若嶋津さんの現役時代を代表する実績が、1984年の2度の幕内優勝です。

- 1984年3月・春場所:14勝1敗で初優勝
- 1984年7月・名古屋場所:15戦全勝で2度目の優勝

特に名古屋場所の全勝優勝は、圧倒的な実力を示した記録として知られています。

同年は年間最多勝にあたる71勝も記録しました。

ただし、横綱昇進には届きませんでした。大関として優勝を重ねた一方、横綱昇進を目指す場所では成績が伸びず、最高位は大関となりました。

若嶋津六夫さんの生涯戦績・主要記録

日本相撲協会の公式プロフィールに掲載されている記録を整理すると、次のようになります。

項目記録・内容
生年月日1957年1月12日
初土俵1975年3月場所
新十両1980年3月場所
新入幕1981年1月場所
新三役1982年3月場所
大関昇進1983年1月場所
幕内優勝2回
十両優勝1回
敢闘賞2回
技能賞3回
金星2個
生涯戦績515勝330敗21休
幕内戦績356勝219敗13休
大関在位28場所
引退1987年7月場所

生涯戦績の515勝330敗21休は、75場所にわたる記録です。

勝ち星だけでなく、幕内での356勝や大関としての250勝という数字からも、長期間にわたって上位で活躍したことが分かります。

【南海の黒豹】若嶋津六夫さんが昭和の相撲ファンを魅了した理由

若嶋津さんは、単に優勝回数が多い力士ではありませんでした。

その人気を支えたのは、恵まれた体格だけに頼らない機動力と、相手の懐に入る巧みな相撲です。

「南海の黒豹」と呼ばれた取り口

若嶋津さんの愛称は「南海の黒豹」。

鹿児島県の種子島出身で、引き締まった体格と浅黒い肌、素早い動きが特徴でした。

得意技は左四つ、上手投げ、吊り。

特に左四つの体勢から相手を攻める取り口には定評があり、重量感で押し切るタイプとは異なる魅力がありました。

日本相撲協会の公式プロフィールでも、得意技として左四つ・上手投げ・吊りが記載されています。

北天佑らと競い合った大関時代

若嶋津さんの現役時代を振り返るうえで、同時代の力士との競争も重要です。

特に元大関北天佑との関係は、昭和の大相撲を彩るライバル関係として紹介されています。

両者は幕下時代から対戦し、互いに成長を意識する存在でした。

若嶋津さんが1983年に大関へ昇進し、その後1984年に幕内優勝を重ねた時期は、実力派の大関たちが競い合う時代でもありました。

横綱にはなれなかったが、名大関として残したもの

若嶋津さんの記録を語る際、横綱昇進を果たせなかった点だけに注目するのは適切ではありません。

大関として28場所を務め、幕内優勝2回、技能賞3回という実績を残しました。

1984年の全勝優勝は、現役時代の代表的な到達点です。

横綱という地位には届かなかったものの、スピードと技術を生かした相撲で多くのファンを魅了しました。

「南海の黒豹」という愛称が長く記憶されているのは、成績だけでなく、土俵上での個性が際立っていたからです。

【妻・高田みづえさんとの歩み】結婚から晩年まで支え続けた夫婦関係

若嶋津さんの人生を語るうえで、妻で元人気歌手の高田みづえさんの存在も欠かせません。

高田みづえさんは1977年に歌手デビューし、当時の人気アイドルとして活躍しました。

同じ鹿児島県出身だった2人の結婚は、芸能界と大相撲の双方で大きな話題となりました。

1985年に結婚、歌手と人気大関の夫婦として注目

2人は1985年2月に婚約を発表し、同年9月27日に結婚しました。

当時の若嶋津さんは大関として活躍しており、高田みづえさんも人気歌手でした。

異なる世界で活躍する2人の結婚は、当時の芸能ニュースやスポーツ報道でも大きく取り上げられました。

結婚後、高田さんは芸能界を引退し、家庭を中心とした生活へ移りました。若嶋津さんが親方となってからは、相撲部屋を支える立場としても知られるようになりました。

2017年の事故後も続いた夫婦の生活

2017年10月の転倒事故では、高田みづえさんが夫の回復を願い、病院で付き添う姿が報道されました。

その後も若嶋津さんは長期の療養生活を続けました。

2023年12月の「感謝の集い」でも家族とともに公の場に姿を見せており、夫婦が長い時間をともに歩んできたことが伝わります。

そして2026年3月、若嶋津さんの死去に際して、高田みづえさんは報道陣に感謝の気持ちを伝えました。

スポーツニッポンが報じた言葉は、次のとおりです。

「親方には、ありがとうという気持ちです」

葬儀で語った「相撲人生」への思い

2026年3月24日の葬儀・告別式では、喪主を務めた高田みづえさんが参列者に向けて挨拶しました。

報道によると、約300人が参列した会場で、みづえさんは涙ながらに夫との日々を振り返りました。

そのなかで伝えたのが、若嶋津さんが生前よく口にしていたという言葉です。

「俺は相撲しか知らない。相撲人生だった」

この言葉には、少年時代から相撲に打ち込み、大関として頂点を極め、引退後も親方として後進を育ててきた若嶋津さんの生き方が表れています。

約40年にわたる夫婦生活の最後に、妻が伝えた感謝の言葉も、多くの人の心に残りました。

【引退後の功績】松ケ根部屋の創設から二所ノ関親方、荒磯親方へ

若嶋津さんの功績は現役時代だけにとどまりません。

1987年7月場所で現役を引退した後、年寄「松ケ根」を襲名。1990年には松ケ根部屋を創設しました。

師匠として力士の育成に取り組み、日本相撲協会の運営にも携わりました。

松ケ根部屋から二所ノ関部屋へ

1990年に創設した松ケ根部屋は、若嶋津さんが長年にわたって指導を続けた場所です。

2014年12月には年寄「二所ノ関」を襲名し、部屋の名称も二所ノ関部屋へ変更されました。

同年には日本相撲協会の理事に就任。2016年からは審判部長も務めました。

親方として育てた関取は7人。

代表的な力士には、次の人物がいます。

- 松鳳山
- 一山本
- 島津海
- 若孜
- 若光翔
- 若東龍
- 春ノ山

なかでも小結まで昇進した松鳳山は、若嶋津さんの指導を受けた代表的な弟子の一人です。

二所ノ関親方と荒磯親方は別人なのか?

検索されることが多いのが、「若嶋津は二所ノ関親方だったのか、荒磯親方だったのか」という疑問です。

これは、親方の名称が時期によって変わったことが理由です。

2021年12月、若嶋津さんは元横綱稀勢の里の荒磯親方と年寄名跡を交換しました。

この名跡交換によって、若嶋津さんは荒磯親方となり、二所ノ関部屋は元稀勢の里が引き継ぎました。

そのため、2017年の転倒事故当時は二所ノ関親方、2021年12月以降は荒磯親方という整理になります。

さらに2022年1月11日に日本相撲協会の定年を迎え、再雇用制度を利用して協会に残りましたが、2023年7月に正式に退職しました。

2026年現在、若嶋津さんは何をしていた?

2026年11月現在、若嶋津さんはすでに亡くなっています。

2023年7月の協会退職後は、2017年の事故から続く療養生活を送っていました。

したがって、「若嶋津さんの現在」という検索に対する答えは、2026年3月15日に肺炎のため69歳で死去したということです。

晩年まで相撲界とのつながりを持ち続け、弟子や関係者から慕われた人物でした。

【プロの結論】若嶋津六夫さんが相撲界に残した本当の功績

若嶋津さんの人生を振り返ると、3つの大きな功績が浮かび上がります。

第一に、現役力士としての実績です。

515勝330敗21休という生涯戦績、幕内優勝2回、そして大関28場所という記録は、長く第一線で戦い続けた証拠です。

第二に、後進の育成です。

松ケ根部屋を創設し、二所ノ関部屋の師匠としても活動。松鳳山や一山本など、複数の関取を育てました。

現役時代の実績を引退後の指導に生かし、相撲界の次世代に影響を残した点は見逃せません。

第三に、昭和の大相撲を象徴する存在感です。

「南海の黒豹」という愛称は、単なるキャッチコピーではありませんでした。

細身の体格を生かした俊敏な攻め、華のある容姿、そして大関としての実力が組み合わさり、当時の相撲人気を支えました。

横綱には届かなかったものの、若嶋津さんが名大関として語り継がれる理由は、こうした複数の実績にあります。

【若嶋津六夫さんの死去】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:若嶋津六夫さんはいつ亡くなりましたか?

A1:2026年3月15日です。千葉県鎌ケ谷市内の病院で、肺炎のため69歳で亡くなりました。

Q2:若嶋津六夫さんの死因は何ですか?

A2:死因は肺炎です。2017年の転倒事故で頭部手術を受けて以降、長期の療養生活を送っていました。

Q3:若嶋津六夫さんの本名は何ですか?

A3:日高六男(ひだか・むつお)さんです。若嶋津六夫は大相撲で使用していた四股名です。

Q4:若嶋津六夫さんの妻は誰ですか?

A4:元人気歌手の高田みづえさんです。1985年9月27日に結婚しました。2026年3月の葬儀では喪主を務めました。

Q5:若嶋津六夫さんの相撲の成績は?

A5:生涯戦績は515勝330敗21休、幕内優勝は2回です。1984年春場所に14勝1敗、同年名古屋場所に15戦全勝で優勝しました。

Q6:2017年の転倒事故では何があったのですか?

A6:2017年10月19日、千葉県船橋市内の路上で自転車の近くに倒れているところを発見されました。頭部の緊急手術を受け、一時意識不明となりました。その後は長期のリハビリ生活を送りました。

Q7:若嶋津さんは二所ノ関親方ですか、荒磯親方ですか?

A7:どちらも正しい名称です。2014年に二所ノ関を襲名し、2021年12月に元稀勢の里と年寄名跡を交換して荒磯親方となりました。

Q8:通夜と葬儀はいつ行われましたか?

A8:通夜は2026年3月23日、葬儀・告別式は3月24日に千葉県市川市の昭和セレモニー シティホール市川で営まれました。喪主は妻の高田みづえさんが務めました。

まとめ:若嶋津六夫さんが残した相撲人生と功績

元大関・若嶋津六夫さんは、2026年3月15日、肺炎のため69歳で亡くなりました。

本名は日高六男さん。1975年の初土俵から1987年の引退まで、大相撲の第一線で活躍し、「南海の黒豹」の愛称で多くのファンに親しまれました。

幕内優勝2回、生涯戦績515勝330敗21休という記録は、名大関としての実力を物語っています。

引退後も松ケ根部屋を創設し、二所ノ関親方として日本相撲協会の運営に携わるなど、相撲界への貢献を続けました。

2017年の転倒事故と長い療養生活を経て、2026年に迎えた最期。妻の高田みづえさんが葬儀で語った「相撲人生だった」という言葉は、若嶋津さんの生涯を端的に表しています。

土俵で見せた俊敏な相撲、後進を育てた親方としての姿、そして昭和の大相撲を彩った存在感。

若嶋津六夫さんが残した功績は、これからも相撲界の歴史のなかで語り継がれていくはずです。 (出典: 若嶋津 六夫 死去(Yahoo!ニュース))