【引退発表はいつ?】2025年1月17日に正式発表、決断は前日だった
照ノ富士の引退が正式に発表されたのは、2025年1月17日(金)。日本相撲協会が同日の理事会で現役引退と年寄「照ノ富士」の襲名を承認した。
ただし、引退を決断したのは発表当日ではない。前日の1月16日、初場所5日目に休場を届け出た時点で、本人は現役生活に終止符を打つ意向を固めていた。
引退発表までの経緯
2025年1月の初場所は、照ノ富士にとって再起を懸けた場所だった。
2場所連続で全休した後、3場所ぶりに本場所へ復帰。ところが、初日に小結・若隆景に敗れ、4日目には翔猿にも敗れて2勝2敗となった。
そして5日目の1月16日、右膝と腰の痛みを理由に休場。翌17日に引退が正式発表された。
日本相撲協会は引退とともに年寄「照ノ富士」の襲名も承認。照ノ富士は同日午後、東京・両国国技館で師匠の伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)とともに引退会見を行った。
ここで押さえておきたいのは、1月16日が引退決断の時期、1月17日が正式発表日という違いだ。両者を混同すると、引退までの経緯が正確に理解できなくなる。
日本相撲協会の発表と当日の報道を照合すると、引退は突然の発表ではなく、復帰場所での状態を見極めた末の決断だったことが分かる。
【なぜ引退した?】右膝の負傷と腰の痛み、横綱としての責任
照ノ富士の引退理由は、単純に一度の負傷で相撲が取れなくなったという話ではない。
長年にわたる膝の故障に加え、右膝をかばうことで腰にも負担がかかり、横綱として求められる相撲を続けることが難しくなっていた。
右膝に水がたまり、曲げられない状態に
2025年1月16日、休場を受けて取材に応じた師匠の伊勢ヶ濱親方は、照ノ富士の状態について説明した。
場所前の稽古で右膝に水がたまり、1月6日の稽古総見では膝が腫れて曲げられなくなったという。
さらに、右膝をかばいながら相撲を取ったことで腰にも痛みが出ていた。
これは単なる一時的なコンディション不良とは異なる問題だった。
照ノ富士は過去にも両膝の負傷に苦しみ、長期休場を繰り返している。横綱昇進後も休場と復帰を繰り返しながら土俵に立ち続けてきた。
2025年初場所の休場は、そうした長年の負担が限界に達したことを示す出来事だった。
体力的な限界だけではなかった
引退の背景には、横綱という地位に対する責任感もあった。
横綱は、単に出場するだけでなく、常に最高水準の相撲を期待される立場だ。照ノ富士は長い休場期間を経ても復帰を目指してきたが、思うような相撲が取れなければ、その状態で土俵に上がり続けることに意味を見いだせなくなっていた。
引退会見では、本人が次のように語っている。
「できる限りのことをやってきた。今場所、思うように相撲できなくなり、これ以上、中途半端な気持ちと体で土俵に上がれないと思い、決断した」
この発言から読み取れるのは、勝敗だけを基準にした引退ではなかったということだ。
自分が納得できる相撲を取れるか。横綱として責任を果たせる状態にあるか。そうした基準を最後まで大切にした結果だった。
また、照ノ富士は初日に敗れた後、師匠に対して「もう1回負けたら引退したい」という覚悟を伝えていたことも明かしている。
一度は復帰を目指して土俵に戻ったものの、身体の状態と向き合い、最終的に引退を選んだのである。
引退理由を整理すると
| 要因 | 内容 | 引退への影響 |
|---|---|---|
| 右膝の負傷 | 水がたまり、腫れて曲げにくい状態 | 相撲の基本動作に支障 |
| 腰の痛み | 右膝をかばうことで負担が増加 | 十分な稽古や取組が困難 |
| 長年の故障 | 両膝の負傷と休場の繰り返し | 身体への負担が蓄積 |
| 体力的な限界 | 本人と師匠が限界を認識 | 現役続行が難しくなる |
| 横綱としての責任 | 納得できる相撲が取れない状態 | 自ら引退を決断 |
重要なのは、右膝だけを引退の原因と捉えないことだ。身体の問題と横綱としての責任感が重なり、現役続行が難しいという判断につながった。
【第73代横綱の軌跡】序二段から復活、幕内優勝10回までの経歴
照ノ富士の引退を語るうえで欠かせないのが、序二段まで番付を落としてから横綱に昇進した異例の復活劇だ。
一度は大関まで上り詰めながら、故障と病気によって力士としてのキャリアが危ぶまれる状況に陥った。それでも土俵に戻り、最終的には第73代横綱となった。
照ノ富士の基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 四股名 | 照ノ富士 春雄 |
| 本名 | 杉野森正山 |
| 生年月日 | 1991年11月29日 |
| 出身地 | モンゴル・ウランバートル |
| 初土俵 | 2011年5月技量審査場所 |
| 所属部屋 | 間垣部屋、伊勢ヶ濱部屋 |
| 最高位 | 第73代横綱 |
| 横綱在位 | 2021年9月~2025年1月 |
| 幕内優勝 | 10回 |
| 十両優勝 | 2回 |
| 幕下優勝 | 1回 |
| 引退 | 2025年1月場所 |
日本相撲協会の歴代横綱プロフィールによると、生涯戦歴は523勝275敗231休(82場所)。幕内では366勝207敗197休を記録している。
序二段まで転落した苦難の時期
照ノ富士は2011年5月に初土俵を踏み、若三勝のしこ名で力士人生をスタートさせた。
2013年9月に新十両、2014年3月に新入幕と順調に番付を上げ、2015年には大きな転機を迎える。
同年5月場所で幕内初優勝を達成。7月場所では新大関に昇進し、将来の横綱候補として期待された。
しかし、その後は両膝の負傷が深刻化。糖尿病などの健康問題も重なり、思うように稽古ができない状態が続いた。
2017年には大関から陥落。2018年には幕下まで番付を落とし、2019年3月場所では西序二段48枚目まで転落した。
元大関が序二段で相撲を取るという状況は、当時の照ノ富士がどれほど厳しい状態に置かれていたかを物語っている。
復活を決定づけた2020年の優勝
照ノ富士は2019年3月場所に序二段で復帰し、7戦全勝を記録した。
その後も着実に番付を上げ、2020年7月場所には14場所ぶりに幕内へ復帰。
そして同場所で13勝2敗の成績を残し、30場所ぶり2度目の幕内優勝を果たした。
序二段まで落ちた元大関が、幕内に戻った場所で優勝する。この復活劇は、大相撲の歴史に残る出来事となった。
2021年、第73代横綱へ
復活後も照ノ富士の勢いは止まらなかった。
2021年5月場所で3度目の幕内優勝を達成し、大関に復帰。同年7月場所でも優勝し、9月場所から第73代横綱として土俵に上がることになった。
横綱昇進後も優勝を重ね、最終的な幕内優勝回数は10回に到達した。
以下は、照ノ富士の人生と相撲界における関係性を整理した年表だ。
| 時期 | 人物・組織との関係 | 主な出来事・実績 |
|---|---|---|
| 2011年5月 | 日本相撲協会・間垣部屋 | 若三勝として初土俵 |
| 2013年9月 | 伊勢ヶ濱部屋への移籍前 | 新十両昇進 |
| 2014年3月 | 照ノ富士として活動 | 新入幕 |
| 2015年5月・7月 | 伊勢ヶ濱部屋・師匠旭富士 | 幕内初優勝、新大関昇進 |
| 2017~2019年 | 伊勢ヶ濱部屋 | 故障による大関陥落、2019年3月に序二段で復帰 |
| 2020年7月 | 幕内復帰 | 30場所ぶりの幕内優勝 |
| 2021年9月 | 日本相撲協会 | 第73代横綱に昇進 |
| 2025年1月17日 | 日本相撲協会・伊勢ヶ濱親方 | 現役引退、年寄「照ノ富士」襲名 |
| 2025年6月9日 | 元横綱旭富士・伊勢ヶ濱部屋 | 年寄「伊勢ヶ濱」を継承襲名し、部屋を継承 |
| 2026年1月31日 | 両国国技館・相撲関係者 | 引退・伊勢ヶ濱襲名披露大相撲、断髪式 |
この年表で特に注目したいのは、2019年の序二段復帰から2021年の横綱昇進までの期間だ。
照ノ富士は、単に番付を回復しただけではない。大関への復帰、幕内優勝、横綱昇進と、段階的に結果を残した。
その経験は、今後の指導者人生においても大きな財産になるはずだ。
【引退会見の内容】照ノ富士が語った14年間の相撲人生と心残り
2025年1月17日の引退会見は、照ノ富士の現役生活を振り返るうえで重要な場面となった。
会見には師匠の伊勢ヶ濱親方も同席。照ノ富士は現役引退を報告し、今後は年寄として後進の指導にあたることを伝えた。
「激しい相撲人生だった」と振り返る
照ノ富士は会見で、自身の14年間を振り返り、激しい相撲人生だったと語った。
その言葉には、華々しい横綱時代だけではなく、序二段まで落ちた苦しい時期も含まれている。
横綱に昇進した力士が、故障によって下位の番付まで落ち、そこから再び頂点に立つという経歴は極めて異例だ。
最も印象に残った一番は序二段の相撲
引退会見で印象的だったのは、思い出に残る一番を尋ねられた際の回答だ。
優勝を決めた一番や横綱昇進につながった取組ではなく、照ノ富士は序二段に落ちてから再び土俵に上がった際の相撲を挙げた。
本人にとって、その一番は14年間で最も緊張した取組だったという。
このエピソードは、照ノ富士の相撲人生を理解するうえで非常に重要だ。
一般的に、横綱の評価は優勝回数や勝率、対戦相手との名勝負によって語られる。しかし、照ノ富士にとっては、勝つこと以前に再び土俵へ戻ること自体が大きな意味を持っていた。
師匠・伊勢ヶ濱親方が称えた復活劇
会見に同席した伊勢ヶ濱親方(元横綱旭富士)も、照ノ富士の歩みを高く評価した。
師匠は、序二段まで落ちた力士が再び横綱に昇進する姿は、ある意味で奇跡に近いと称賛した。
師弟関係という点でも、この言葉には重みがある。
伊勢ヶ濱親方は、照ノ富士が苦境にあった時期から指導を続けてきた人物だ。現役時代の師匠が、引退後には部屋の継承を託す立場へと変わることになる。
引退会見で語られた内容は、現役生活の終わりであると同時に、新たな指導者人生の始まりを示していた。
【2026年現在】伊勢ヶ濱親方として部屋を継承、次世代の育成へ
照ノ富士は引退後も日本相撲協会に残り、現在は伊勢ヶ濱親方として活動している。
ここで重要なのは、引退直後から伊勢ヶ濱親方だったわけではないという点だ。
引退時には年寄「照ノ富士」を襲名し、その後、2025年6月に年寄名跡「伊勢ヶ濱」を継承している。
2025年6月9日、正式に伊勢ヶ濱部屋を継承
日本相撲協会は2025年6月9日付で、年寄名跡と相撲部屋の継承を承認した。
この発表によって、照ノ富士は年寄「伊勢ヶ濱」を襲名すると同時に、伊勢ヶ濱部屋を継承することになった。
一方、これまで伊勢ヶ濱部屋を率いていた元横綱・旭富士は、年寄「宮城野」を継承襲名した。
つまり、師匠と弟子の関係が、部屋の継承によって新しい形へ移行したのである。
伊勢ヶ濱部屋の継承が持つ意味
伊勢ヶ濱部屋は、長い歴史を持つ相撲部屋だ。
照ノ富士自身も、この部屋で大関から序二段への転落、そして横綱への復活を経験している。
その場所を今度は自分が率いる立場になった。
指導者としての照ノ富士に期待されるのは、単に強い力士を育てることだけではない。
- 故障や不調に直面した力士への向き合い方
- 長期休場からの復帰を支える指導
- 厳しい番付争いの中で精神面を保つ方法
- 横綱を経験した立場から伝える勝負への姿勢
こうした経験を、次の世代へ伝えていくことが期待される。
特に照ノ富士の場合、序二段から横綱まで戻った経験があるため、力士の成長を短期的な勝敗だけで判断しない指導にも期待が集まる。
現役横綱から親方へ、評価の基準も変わる
現役時代の照ノ富士は、優勝10回という数字で評価される存在だった。
しかし親方となった現在は、弟子の成長や部屋の運営、相撲界への貢献が新たな評価基準となる。
自分自身が経験した挫折を、弟子たちの成長にどう生かすのか。
2026年現在の照ノ富士を理解するうえでは、元横綱という肩書だけでなく、伊勢ヶ濱部屋を率いる師匠としての役割に注目したい。
【2026年1月31日開催】照ノ富士の引退披露大相撲と断髪式の全貌
照ノ富士の引退後の大きな節目となったのが、2026年1月31日(土)に両国国技館で開催された「照ノ富士引退伊勢ヶ濱襲名披露大相撲」だ。
この興行は、現役時代の功績を振り返る引退相撲と、年寄「伊勢ヶ濱」の襲名を披露する場を兼ねていた。
日本相撲協会の公式案内でも開催日が1月31日と告知され、現在は終了した行事として掲載されている。
最後の横綱土俵入り
当日は午前10時に開場し、午前11時から取組などが行われた。
大きな見どころの一つが、照ノ富士の最後の横綱土俵入りだった。
元横綱として披露する最後の土俵入りには、多くの注目が集まった。
報道によると、露払いを大の里、太刀持ちを豊昇龍が務めた。照ノ富士は両膝にサポーターを装着しながら、不知火型の土俵入りを披露した。
序二段まで落ちた力士が、再び横綱として最後の土俵入りを披露する。その姿には、現役時代の苦難と栄光が凝縮されていた。
約330人が参加した断髪式
引退披露大相撲の中心的な行事となったのが断髪式だ。
断髪式では、現役時代に結っていた大銀杏を切り落とし、力士としての生活に正式な区切りをつける。
照ノ富士の断髪式には、各界から約330人が参加した。
報道された主な参加者には、次の人物がいる。
- 元横綱・白鵬翔
- 元横綱・花田虎上
- 柔道の阿部一二三、阿部詩
- 柔道の大野将平
- 競泳の北島康介
- ボクシングの中谷潤人、井岡一翔
- ラグビーの稲垣啓太
- 元プロ野球選手の中田翔
- サッカーの小野伸二
- 格闘家の武尊
- 実業家の藤田晋
さらに、先代師匠の元横綱・旭富士が止めばさみを担当した。
長年にわたり師弟として歩んできた2人にとって、特別な意味を持つ場面となった。
断髪後、伊勢ヶ濱親方として新たな決意
断髪式を終えた照ノ富士は、髪を整えてタキシード姿で登場した。
それまでの大銀杏とは異なる姿に、現役時代との区切りを感じたファンも多かったはずだ。
式典では、弟子たちに囲まれながら今後への決意を表明した。
「次の世代を育て、相撲界に恩返しできるよう、一層精進いたします」
これは、単に引退した横綱としての挨拶ではない。
伊勢ヶ濱部屋を率いる親方として、これからの相撲界を支えていくという意思表示でもある。
2025年1月の引退発表から約1年。2026年1月31日の断髪式は、力士・照ノ富士としての最後の節目であり、伊勢ヶ濱親方としての新たな出発を象徴する一日となった。
【プロの結論】照ノ富士の引退が相撲界に残したもの
照ノ富士の引退を理解するうえで、最も重要なのは、幕内優勝10回や第73代横綱という実績だけではない。
本当に特筆すべきなのは、序二段まで転落した後に、再び横綱へと上り詰めたことだ。
大関から序二段への転落は、力士としての将来を大きく揺るがす出来事だった。それでも照ノ富士は土俵に戻り、2020年の幕内復帰場所で優勝。2021年には横綱に昇進した。
そして2025年、長年の負傷と体力的な限界を理由に、自ら現役生活に幕を下ろした。
この経歴から読み取れることは3つある。
第一に、強さとは勝ち続けることだけではない。
照ノ富士の評価は、10回の幕内優勝だけでは完結しない。最も苦しかった序二段時代に再び土俵へ戻ったことも、同じくらい重要な実績だ。
第二に、引退は敗北ではない。
横綱として納得できる相撲が取れないと判断し、土俵を去ることを決めた。これは、現役時代に掲げてきた責任感と矛盾するものではない。
第三に、引退後の評価はこれから積み重なる。
伊勢ヶ濱部屋を継承した照ノ富士には、今度は弟子を育てるという新しい役割がある。自身の経験を次世代に伝えられるかどうかが、親方としての大きなテーマになる。
【照ノ富士引退に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:照ノ富士の引退発表日はいつですか?
A1:2025年1月17日です。日本相撲協会が引退と年寄「照ノ富士」の襲名を正式に発表しました。本人は前日の1月16日に引退の意向を固めていました。
Q2:照ノ富士はなぜ引退したのですか?
A2:長年の右膝の負傷に加え、右膝をかばったことで腰も痛め、体力的にも限界を迎えたためです。引退会見では、思うような相撲が取れず、中途半端な状態で土俵に上がるべきではないと判断したことを説明しています。
Q3:2026年現在、照ノ富士は何をしていますか?
A3:年寄「伊勢ヶ濱」を襲名し、伊勢ヶ濱部屋を継承した親方として活動しています。2026年1月31日には両国国技館で引退・伊勢ヶ濱襲名披露大相撲が開催され、断髪式も行われました。
まとめ:照ノ富士の引退は新たな相撲人生の始まり
照ノ富士の現役引退は、2025年1月17日に正式発表された。長年の右膝の負傷や腰の痛み、体力的な限界を受け、横綱として納得できる相撲を取ることが難しくなったことが決断の背景にあった。
現役時代には、第73代横綱として幕内優勝10回を達成。序二段まで転落しながら横綱に復帰した経歴は、大相撲の歴史でも際立ったものだ。
引退後は年寄「照ノ富士」を経て、2025年6月9日に年寄「伊勢ヶ濱」を襲名。伊勢ヶ濱部屋を継承し、親方として次世代の育成を担う立場になった。
そして2026年1月31日、両国国技館で引退披露大相撲と断髪式が行われ、力士・照ノ富士としての歩みに区切りがついた。
2026年11月現在、照ノ富士の物語は現役引退で終わっていない。 序二段から横綱まで這い上がった経験を、今度は指導者としてどのように弟子たちへ伝えていくのか。伊勢ヶ濱親方としての今後の歩みこそ、これから注目すべき新しい相撲人生である。