【小2から大学4年まで】りんたろー。のサッカー経歴と所属チームを時系列で紹介
りんたろ。のサッカー人生は、地元・静岡県浜松市の少年サッカーチームから始まった。2019年のサッカー専門メディア「サッカーキング」のインタビューでは、小学2年生ごろに競技を始め、大学4年生まで続けたと本人が語っている。
2024年7月の静岡新聞アットエスによるインタビューでも、本人が所属チームを具体的に説明しており、少年団から大学までの流れが明らかになっている。
りんたろ。のサッカー経歴一覧
| 時期 | 所属チーム・学校 | 主なエピソード |
|---|---|---|
| 小学2年生ごろ | 浜北キッカーズFC | サッカーを始める。GKとして定着 |
| 中学時代 | Honda FCジュニアユース | 静岡県内の強豪チームと対戦 |
| 高校時代 | 静岡北高校 | サッカー部で活動。走り込みや厳しい練習を経験 |
| 大学時代 | 浜松大学サッカー部 | 1年生からトップチーム入り。長谷川健太監督の指導を受ける |
| 大学4年生まで | 浜松大学 | 前十字靱帯の負傷などを経てプロを断念 |
| 2026年5月 | 恩師との再会 | 長谷川健太氏と20年以上ぶりに再会 |
小学生時代:浜北キッカーズFCでサッカーを始める
出身地・静岡県浜松市
りんたろ。が最初に所属したのは、地元の少年サッカーチーム「浜北キッカーズFC」だ。
興味深いのは、入団した当初のポジション決めである。
2024年の静岡新聞アットエスのインタビューによると、浜北キッカーズFCでは、入った子ども全員に一度ゴールキーパーを経験させる方針だったという。
そのなかで、りんたろ。はゴールキーパーの適性を見せた。
本人は当時を振り返り、次のように説明している。
キーパーのローテーションが僕で止まったんです。
チームのなかでGKとして定着したことが、その後の約14年間に及ぶポジションの原点になった。
さらに、浜北キッカーズFCには、2歳年上の元ジュビロ磐田選手・太田吉彰も在籍していたという。地元のサッカー環境のなかで、プロ選手を身近に感じられる機会もあったようだ。
中学時代:Honda FCジュニアユースで実力を磨く
中学時代に所属したのは、静岡県のサッカークラブとして知られるHonda FCのジュニアユースだ。
少年団からジュニアユースへと進み、競技レベルも高まっていった。
2019年のサッカーキングのインタビューでは、中学時代の忘れられない試合についても話している。
清水エスパルスやジュビロ磐田も出場する大会で、相手の攻撃を無失点に抑え、PKも次々と止めて勝利した経験が特に印象に残っているという。
GKとしての自信を深めた、象徴的なエピソードだ。
高校時代:静岡北高校サッカー部で厳しい練習を経験
中学卒業後は静岡北高校へ進学した。
高校時代もサッカーに打ち込み、特に印象に残っているのが走り込みだったという。
GKはゴール前でのプレーが中心と思われがちだが、当時の練習ではフィールドプレーヤーと同様に走ることも求められた。
りんたろ。本人は、長距離走が得意だったと振り返っている。遅れている仲間の背中を押しながら、一緒にゴールすることもあったそうだ。
静岡北高校の公式サイトでも、りんたろ。は卒業生として紹介されている。2023年1月には母校を訪れ、サッカー部の生徒たちとPK対決を行った。
卒業から年月が経過しても、母校とのつながりが続いていることが分かる。
大学時代:浜松大学サッカー部でトップチーム入り
高校卒業後は浜松大学に進学し、サッカー部に所属した。
ここで大きな存在となったのが、監督を務めていた長谷川健太氏だ。
りんたろ。は大学1年生からトップチームに入ったと語っている。ただし、その後はけがの影響もあり、AチームとBチームを行き来する時期もあった。
大学4年生まで競技を続けたものの、プロへの道は閉ざされることになる。
なお、浜松大学は2013年4月に常葉学園大学、富士常葉大学と統合され、現在の常葉大学が発足した。したがって、りんたろ。がプレーしていた当時の学校名は浜松大学であり、現在の常葉大学という名称とは区別して理解する必要がある。
【守護神GKの実力】りんたろー。のポジションとプレースタイルは?
ポジション:ゴールキーパー(GK)
小学2年生ごろから大学4年生まで一貫してGKを担当。反射神経とシュートストップを武器とするタイプだったと本人が説明している。
りんたろ。のサッカー経歴で特に興味深いのが、ポジションが一度も変わらなかったことだ。
2019年のサッカーキングのインタビューでは、最初からずっとゴールキーパーだったと明かしている。
憧れの選手は元日本代表GK・川口能活
りんたろ。が憧れていたのは、元日本代表のゴールキーパーである< Entity value="川口能活" category="athlete" disambig="元サッカー日本代表ゴールキーパー"/>だった。
特に印象に残っていたのが、1996年アトランタ五輪のブラジル戦だ。
日本代表がブラジル代表を破った、いわゆる「マイアミの奇跡」。その試合でゴールを守った川口の姿に強く憧れたという。
PKを止める姿や、劣勢のなかでも失点を防ぐ姿勢が格好よく映ったそうだ。
本人は自身のプレースタイルについても、興味深い比較をしている。
- 楢崎正剛タイプというより川口能活タイプ
- 上背の大きさよりも反射神経を重視
- シュートストップが得意
- ゴールを守り切ったときの達成感が好き
本人の説明によれば、身長の高さで勝負するというより、反応の速さでシュートを止めるGKだった。
GKを続けた理由は「止めたときの爽快感」
ゴールキーパーは、フィールドプレーヤーとは違って試合中に一人しか出場できないポジションだ。
失点すれば責任を問われやすい一方、好セーブを見せればチームを救うことができる。
りんたろ。は、シュートを止めたときの爽快感や達成感に魅力を感じていたという。
また、少年時代にはGKだけが違う色のユニフォームを着ることも気に入っていたそうだ。
目立ちたがり屋だったという本人の性格も、GKを好きになった理由の一つだった。
チャラ男キャラで知られる現在のりんたろ。と、派手なGKユニフォームに魅力を感じていた少年時代。こうした共通点も面白い。
【恩師は長谷川健太】浜松大学時代の指導と20年以上ぶりの再会
元日本代表選手。浜松大学時代にりんたろ。を指導した恩師であり、2026年5月には久しぶりの再会が実現した。
りんたろ。の大学時代を語るうえで欠かせない人物が長谷川健太氏だ。
長谷川氏は現役時代に日本代表として活躍し、引退後は指導者として浜松大学で監督を務めた。その後、清水エスパルス、ガンバ大阪、FC東京、名古屋グランパスなどの監督を歴任している。
「灰になるまで走れ」という厳しい指導
2019年のサッカーキングのインタビューで、りんたろ。は長谷川監督との大学時代を振り返っている。
印象的だったのは、GKに対しても徹底的にシュート練習を行っていたことだ。
長谷川監督自身がランニングシューズを履いてシュートを打ち、りんたろ。が驚くようなコースにボールを決めていたという。
本人は、元日本代表選手のシュートの質を目の当たりにし、レベルの違いを痛感したと語っている。
また、大学時代の厳しい練習を象徴する言葉として挙げたのが、
灰になるまで走れ。
という言葉だった。
チームには陸上競技の選手だったトレーナーもおり、とにかく走り込む日々だったという。
この経験は、芸人になってからの長時間移動や体力面にも役立ったと本人は話している。
2019年には「監督は覚えてくれているかな」と話していた
2019年のインタビュー時点で、りんたろ。は大学卒業後に長谷川氏とは会っていないと明かしていた。
恩師が自分を覚えていてくれたらありがたい、と懐かしそうに語っていたのが印象的だ。
その後、2026年5月25日、スポニチが長谷川氏との再会を報じた。
りんたろ。は自身の公式Instagramにツーショット写真を投稿し、大学時代の監督と再会できた喜びを伝えた。
投稿では、次のように振り返っている。
20年以上ぶりに会えた恩師は偉大でその存在感は健在でした!!
かつて「覚えていてくれているかな」と話していた恩師との再会が、実際に実現したわけだ。
大学時代の厳しい練習を懐かしい思い出として振り返れるようになったことも、長い時間を経たからこその変化だろう。
【プロ断念の理由】前十字靱帯を2度断裂した大学時代の苦悩
りんたろ。がプロサッカー選手になる夢を断念した最大の理由は、膝のけがだった。
本人が複数のインタビューで明かしているのは、前十字靱帯を2度断裂したことだ。
前十字靱帯は膝関節の安定性を支える重要な靱帯であり、サッカーのように急な方向転換や着地、切り返しを繰り返す競技では大きな影響を及ぼす。
高校・大学時代に膝を負傷
2024年の静岡新聞アットエスのインタビューでは、高校と大学で前十字靱帯を負傷したと説明している。
特に2度目のけがは精神的にも大きな打撃となった。
大学時代には1年生からトップチームでプレーしていたものの、けがによってAチームとBチームを行き来することになった。
それまで試合ではレギュラーとして出場し、キャプテンを務めることもあっただけに、思うようにプレーできない状況は悔しかったはずだ。
2019年のサッカーキングのインタビューでは、2度目の前十字靱帯のけがを振り返り、こう話している。
ここが潮時かな
プロを目指して努力してきた本人にとって、非常に重い決断だった。
プロを断念したタイミングも大きかった
注目したいのは、けがそのものだけでなく、発生したタイミングだ。
2024年のインタビューで、りんたろ。は、周囲の選手たちがプロのセレクションや練習参加に向かう時期に2度目のけがをしたと説明している。
そのときの心境は、
もう無理じゃん
というものだった。
さらに、1年後にけがが治ってからも、再びサッカーに取り組むモチベーションは戻らなかったという。
就職活動にも間に合わない状況になり、進路を考え直す必要に迫られた。
つまり、プロ断念には次の3つの要素が重なっていた。
1. 前十字靱帯を2度断裂した身体的な問題
2. プロのセレクションなどに参加する重要な時期を逃したこと
3. 長期間の離脱によって競技を続ける意欲が低下したこと
単に実力不足でプロになれなかったという話ではない。長年積み重ねた競技人生が、けがによって大きく変わったという経緯だ。
14年間のサッカー人生を無駄に感じたことも
2020年10月、りんたろ。はサッカー日本代表戦の副音声を担当した後、SNSで大学時代のけがについて振り返った。
デイリースポーツが紹介した投稿では、前十字靱帯を2度断裂してサッカーを辞めた際、14年間の時間が無駄になったように感じたと明かしている。
また、サッカーを続けやすい環境を整えてくれた両親に対して、申し訳ない気持ちも抱いていたという。
それでも、芸人になることを認めてくれた両親への感謝を記していた。
この経験は、りんたろ。にとって単なる進路変更ではなかった。幼少期から続けてきた夢との別れだった。
芸人への転身はどのように決まった?
サッカーを断念した後、りんたろ。が選んだのがお笑いの世界だった。
2019年のインタビューでは、就職活動もしておらず、普通に働くことにも迷いがあったと話している。
もともとお笑いが好きだったことに加え、けがによって競技人生が終わることのない世界に進みたいという気持ちもあった。
2024年のインタビューでも、当時は少し投げやりな気持ちでお笑いの世界に飛び込んだと振り返っている。
ただし、芸人になったからといってすぐに成功したわけではない。本人も、サッカーとは違う形で精神的に苦労したと語っている。
現在のEXITとしての活躍は、サッカー選手という夢を失った後に選び直した人生の延長線上にある。
【2026年最新】りんたろー。は現在もサッカーと関わっている?
プロ選手になる夢を断念したりんたろ。だが、サッカーとの縁が切れたわけではない。
むしろ現在は、競技経験を生かしてサッカーの魅力を伝える立場になっている。
テレビ朝日「ラブ!!Jリーグ」のMCとして活動
りんたろ。(EXIT)、せいや(霜降り明星)、三谷紬アナウンサーを中心にJリーグの魅力を紹介する番組。
2026年現在、りんたろ。はテレビ朝日のサッカー番組「ラブ!!Jリーグ」に出演している。
番組の公式紹介では、初心者やかつてサッカーに熱中した世代に向けて、Jリーグの魅力を届けることがコンセプトとして掲げられている。
2026年10月の放送告知でも、りんたろ。とせいやが中心となって番組を進行することが確認できる。
2026年10月にはGK経験を生かした企画も
2026年10月10日放送の「ラブ!!Jリーグ」では、FANTASTICSの瀬口黎弥が登場。
瀬口もゴールキーパー経験者であり、りんたろ。との反射神経ゲームが企画された。
現役時代からGKとしてプレーしてきたりんたろ。にとって、こうした企画は自身の経験を番組の見どころに変える機会でもある。
単にサッカー好きの芸人として出演するのではなく、実際に長年GKを経験してきた背景が番組内でも生かされている。
2026年はJリーガーへの取材活動も継続
2026年10月23日のJリーグ公式サイトの番組告知では、りんたろ。が柏レイソル対ヴィッセル神戸の試合を視察し、自身が取材してきた選手たちの活躍をチェックする企画が紹介された。
番組内では「りんたろー。軍団」の選手たちを取り上げ、選手との交流や新たなメンバーのスカウトも行っている。
また、2026年5月には大学時代の恩師・長谷川健太氏との再会も実現した。
こうした活動を見ると、サッカーを辞めた後も競技との関係を大切にしてきたことが分かる。
選手からサッカーを伝える側へ
りんたろ。の現在のサッカーとの関わりには、大きく3つの特徴がある。
- 競技経験を生かした発信: GKとしての経験や選手目線を番組で紹介する。
- 現役選手との交流: Jリーグのクラブや選手への取材を行う。
- 恩師とのつながり: 長谷川健太氏との再会など、学生時代の縁を大切にしている。
プロ選手としてピッチに立つ夢は実現しなかった。しかし、サッカーに関わる仕事を通して、別の形で競技を盛り上げる存在になっている。
【りんたろー。のサッカー経歴】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:りんたろ。がサッカーを始めたのは何歳?
小学2年生ごろ。浜北キッカーズFCに入団したことがサッカー人生の始まりで、大学4年生まで約14年間続けたと本人が語っている。
Q2:りんたろ。のサッカーのポジションは?
ゴールキーパー。小学生時代から大学時代まで一貫してGKを担当していた。反射神経とシュートストップを得意とし、憧れの選手は川口能活だった。
Q3:りんたろ。の出身高校と大学は?
高校は静岡北高校、大学は浜松大学。浜松大学は2013年にほかの2大学と統合され、現在の常葉大学となっている。
Q4:長谷川健太監督とはどのような関係?
浜松大学サッカー部時代の監督と選手という関係。長谷川氏のもとで厳しい練習を経験し、2026年5月には20年以上ぶりの再会を果たした。
Q5:りんたろ。がプロサッカー選手になれなかった理由は?
高校・大学時代に前十字靱帯を負傷し、大学時代には2度目の断裂を経験したため。プロのセレクションや練習参加を目指す時期と重なり、最終的に競技を続けることを断念した。
Q6:2026年現在もサッカーの仕事をしている?
している。テレビ朝日「ラブ!!Jリーグ」への出演をはじめ、Jリーグのクラブや選手への取材など、サッカーに関わる活動を続けている。
まとめ:りんたろー。のサッカー人生は挫折で終わらなかった
EXITりんたろ。のサッカー経歴を振り返ると、芸人としての現在からは想像できないほど本格的な競技人生を送っていたことが分かる。
小学2年生で浜北キッカーズFCに入り、Honda FCジュニアユース、静岡北高校、浜松大学サッカー部へと進んだ。大学では長谷川健太監督の指導を受け、GKとしてプロ選手を目指していた。
しかし、前十字靱帯の2度の断裂が大きな転機となった。大学時代にプロへの道を断念し、お笑いの世界へ進む決断をした。
そして2026年、長谷川氏との20年以上ぶりの再会や「ラブ!!Jリーグ」での活動が報じられた。
りんたろ。は、プロサッカー選手にはなれなかったものの、サッカーを諦めて競技との縁まで失ったわけではない。
選手として培った経験を、今度は伝える側として生かしている。その歩みこそが、りんたろ。のサッカー経歴で最も注目したい部分だ。
主な参考資料
- サッカーキング「りんたろー。(EXIT)~『今の僕を作った』サッカーへの感謝の気持ち~」(2019年10月2日)
- 静岡新聞アットエス「りんたろー。さんが語った静岡サッカー愛」(2024年7月9日)
- デイリースポーツ「りんたろー。靱帯断裂でプロ断念時の心境」(2020年10月11日)
- 静岡北高等学校公式サイト「卒業生『りんたろー。』さんTVロケで来校」(2023年1月18日)
- スポニチ「りんたろー。大学時代の監督・長谷川健太氏と念願の再会」(2026年5月25日)
- テレビ朝日「ラブ!!Jリーグ」公式番組情報
- Jリーグ公式サイト「ラブ!!Jリーグ」放送告知(2026年10月23日) (出典: りん たろ ー サッカー(Yahoo!ニュース))