横山剣の若い頃を徹底解剖!本牧育ちからクールスRC、CKB結成と2026年の現在
クレイジーケンバンドのボーカルとして知られる横山剣。現在はスーツやサングラスを着こなすダンディーな姿が印象的ですが、若い頃はリーゼントが似合うロックンローラーであり、21歳でクールスRCのボーカリストとしてデビューした実力派の作曲家でもありました。
1960年に横浜で生まれた横山剣は、幼少期から独学で作曲を始め、中学生でバンド活動を経験。1981年のクールスRCデビューを皮切りに、ダックテイルズ、ZAZOU、CK'Sと複数のバンドを渡り歩き、1997年春にクレイジーケンバンドを結成しました。2026年現在66歳となった彼の音楽人生を振り返ると、若い頃の経験が現在の独特な音楽性やファッションにつながっていることが分かります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 若い頃の姿:1980年代はリーゼントや古着のスーツ、アメリカンなサーフスタイルを好んでいた。
- 音楽活動の原点:小学生で作曲を始め、中学2年からバンド活動。1981年、21歳でクールスRCのボーカルとしてデビュー。
- 現在までの歩み:ダックテイルズ、ZAZOU、CK'Sを経て1997年にCKBを結成。2026年9月には通算26枚目のアルバム『何?』を発売。
【生い立ち】横山剣は本牧育ち!幼少期から音楽と車に夢中だった
横山剣は1960年7月7日生まれ、神奈川県横浜市出身。2026年11月現在、66歳です。クレイジーケンバンドのリーダーとして、ボーカルだけでなく作詞・作曲・編曲も手掛けています。
横山剣の生い立ちを語るうえで欠かせないのが、横浜の本牧という土地です。幼少期を本牧で過ごした彼にとって、この地域は単なる故郷ではありません。アメリカ文化、音楽、自動車、ファッションが交差する独特の環境が、後の音楽活動に大きな影響を与えました。
小学生の頃から頭の中にメロディーが流れていた
ユニバーサルミュージックの公式プロフィールによると、横山剣は小学校低学年の頃から頭の中にメロディーが浮かぶようになり、独学でピアノを弾きながら作曲を始めました。
当時は楽譜の読み書きが得意ではなく、浮かんだメロディーをテープレコーダーに録音して残していたといいます。2026年9月の双葉社のインタビューでも、頭の中に鳴る音楽を自分の方法で記録していた少年時代を振り返っています。
小学校2年生のときに初めて購入したレコードは、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」。また、小学校6年生の頃には作曲家になりたいという夢を持っていました。
「小学校6年生では作曲家になろうと決めていました。」
これは2017年のタウンニュースによる本人インタビューで語られた内容です。歌手として有名になるよりも、まず自分の音楽を作ることに強い関心を持っていた点が興味深いところです。
本牧のアメリカ文化が音楽の原点になった
本牧には、かつて米軍施設や外国人向けの店舗があり、アメリカの音楽や生活文化が身近に存在していました。
横山剣が2017年のインタビューで特に印象深い思い出として挙げたのが、本牧の米軍PXの駐車場で夏に開催されていた「日米親善盆踊り」です。
日本の盆踊りとアメリカ文化が混ざり合う光景は、少年時代の彼にとって強烈な印象を残しました。その記憶は、後にクレイジーケンバンドの「デトロイト音頭」や「La Americana」といった楽曲にもつながっています。
また、中学時代から憧れていた本牧の「ゴールドラッシュ」や、後のブギーカフェにつながる場所にも頻繁に足を運んでいました。店内で流れるR&B、ルーツロック、レゲエ、そして本牧独特のファッションやカルチャーに触れていたことも、彼の音楽的な土台になっています。
さらに、横山剣は幼い頃から自動車やモータースポーツにも夢中でした。1970年のモーターショーで見た初代セリカに強い衝撃を受けたことは、後年のトヨタ自動車公式サイトのインタビューでも語られています。
音楽と車という二つの情熱が、少年時代から並行して育っていたのです。
【学生時代】15歳でバンド活動!作曲家を目指してレコード会社にも売り込み
横山剣の学生時代は、音楽家としての基礎が形成された時期です。公式プロフィールでは中学2年生からバンド活動を始めたと紹介されています。
中学生でキャロルのコピーやオリジナル曲に挑戦
2026年9月の双葉社のインタビューによると、横山剣は中学生の頃にキャロルのコピーを演奏するバンドで活動していました。
当時の彼は、歌手になることよりも作曲家になることに強い関心を持っていました。自分が表舞台に立つよりも、自分の作った曲を世の中に送り出すことに魅力を感じていたのです。
中学3年生の夏休みには、学校の課題でオリジナル曲を制作。ところが、楽譜を書けなかったため、ピアノが得意な同級生の女の子にメロディーを採譜してもらったというエピソードがあります。
完成した楽譜を提出すると、先生から本当に自分で作った曲なのかと疑われたそうです。本人は、作品の出来栄えを評価されたようでうれしかったと振り返っています。
中学3年生でレコード会社への売り込みを開始
さらに驚くのは、横山剣が中学3年生の段階で職業作曲家を目指して行動していたことです。
自分で作った曲をカセットテープに録音し、レコード会社を回って売り込んだ経験があります。しかし、楽曲そのものを評価してもらう以前に、録音状態の悪さを理由に断られてしまいました。
その後も音楽への情熱は変わらず、独自の作曲スタイルを磨き続けました。
17歳で東京へ!古着の仕事からクールスとの出会いへ
17歳頃になると、横浜から東京の神宮前に移り、古着の仕事を始めます。2026年のJOYSOUNDのインタビューでは、都立青山高校の定時制に通いながら、原宿の古着店や歩行者天国に集まるロックンローラーたちに商品を販売していたと本人が語っています。
この頃に出入りするようになったのが、クールスの事務所兼ショップだった「CHOPPER(チョッパー)」です。
店の関係者とのつながりから、横山剣は次第にクールスのメンバーたちにかわいがられるようになりました。最初から歌手として採用されたわけではなく、店の手伝いや雑用をこなすところから始まっています。
ここで重要なのは、古着の仕事とファッションへの関心が、結果的に音楽業界への入口になったことです。横山剣のキャリアは、一般的なオーディションや音楽学校を経由したものではありませんでした。
【1981年】クールスRC時代の横山剣!21歳でボーカルデビュー
横山剣の若い頃を語るうえで、最大の転機となったのが1981年のクールスRC加入です。
クールスはバイク、ロックンロール、ファッションを一体化した存在として知られていました。横山剣は10代の頃から憧れていたグループの関係者と知り合い、やがて音楽活動に参加することになります。
ローディーからマネージャー、ファンクラブ責任者へ
2026年10月のJOYSOUNDによる本人インタビューでは、横山剣がクールスのリーダーだった佐藤秀光から突然ツアー参加を誘われた経緯が明かされています。
そこから約3年間、ローディー、マネージャー、ファンクラブ責任者など、さまざまな役割を経験しました。
そして、メンバーの脱退によってツインボーカルを復活させる話が持ち上がり、佐藤秀光の推薦もあって、横山剣がリードボーカルに抜擢されます。
1981年、21歳でクールスRCのコンポーザー兼ボーカリストとしてデビュー。スタッフからメインボーカルへの昇格という、異色の経歴でした。
デビュー曲「シンデレラ・リバティ」は17歳頃の自作曲
クールスRC時代を象徴する楽曲が「シンデレラ・リバティ」です。
この曲は横山剣がクールスに加入する前に作っていたオリジナル曲で、本人のインタビューによれば、17歳の頃に書いた作品でした。
レコード会社の選曲会議でメンバーや関係者から評価され、横山剣がボーカルを担当するデビューシングルとして採用されました。
編曲を担当したのはジェームス藤木。本人は、デモテープでは表現できなかった音楽の魅力を、レコーディングを通して引き出してもらった経験を振り返っています。
「クレイジーケン」と「イイネ!」の誕生
現在まで続く「クレイジーケン」という名前にも、クールスRC時代のエピソードがあります。
加入当初は、先輩メンバーからステージ上での立ち振る舞いについて細かく指導されていました。最初は仁王立ちで歌うことを求められていましたが、2年目から自由なパフォーマンスが認められるようになります。
そこで横山剣が大胆なステージングを見せたことから、村山一海に「クレイジーケン」というあだ名を付けられました。
また、MCが苦手だった彼がステージで繰り返していた言葉が「イイネ!」です。現在の代名詞ともいえるフレーズの原点が、すでにこの時代にありました。
一方、1984年2月のライブを最後にクールスRCを脱退します。週刊女性PRIMEの2025年の特集では、レコード会社側の方針変更によって自分の居場所を失ったと本人が振り返っています。
華やかなデビューを経験したものの、順風満帆な芸能生活が続いたわけではありませんでした。
【バンド遍歴】ダックテイルズ、ZAZOU、CK'Sを経てCKB結成へ!
クールスRCを離れた横山剣は、その後も音楽活動を続けます。ダックテイルズ、ZAZOU、CK'Sというバンド遍歴は、現在のクレイジーケンバンドの音楽性を理解するうえで欠かせません。
JOYSOUNDの2026年10月の連続インタビューでは、本人がそれぞれのバンドでの活動や、何度もデビューを経験した背景を詳しく語っています。
横山剣の音楽活動・経歴を時系列で整理
| 時期 | 活動・関係する人物 | 主な出来事と転換点 |
|---|---|---|
| 小学生時代 | 独学で作曲 | 頭の中のメロディーを録音。小学6年生で作曲家を志す。 |
| 中学生時代 | キャロルのコピーなど | 中学2年からバンド活動を開始。 |
| 1978年頃 | CHOPPER・クールス関係者 | 古着の仕事を通じてクールスと接点を持ち、スタッフとして活動。 |
| 1981年 | クールスRC | 21歳でコンポーザー兼ボーカルとしてデビュー。「シンデレラ・リバティ」を発表。 |
| 1984年以降 | ダックテイルズ | クールス脱退後、山崎廣明らと新たな音楽活動を展開。 |
| 1988年 | ERD・ソロプロジェクト | ダックテイルズと並行して新しい音楽プロジェクトを開始。 |
| 1989~1991年 | ZAZOU | ERDから改名。1990年に「愛しの帰国子女」を発表。 |
| 1991~1997年 | CK'S・Brand New CK'S | ジェームス・ブラウンやP-FUNKのカバーから始まり、オリジナル曲も制作。 |
| 1997年春 | クレイジーケンバンド | 横浜本牧のイタリアンガーデンをきっかけに結成。 |
| 1998年 | クレイジーケンバンド | 1stアルバム『PUNCH! PUNCH! PUNCH!』を発売。 |
この年表は、クレイジーケンバンドの公式プロフィール、公式バンド履歴、JOYSOUNDの本人インタビュー、トヨタ自動車のインタビューなどをもとに整理したものです。
ダックテイルズ時代はR&Bと歌謡曲を追求
クールスRC脱退後に参加したのが、ダックテイルズです。
このバンドには、後にラッツ&スターを離れた山崎廣明らが関わっており、横山剣は新しい音楽活動に取り組むことになりました。
クールスRC時代のロックンロールとは異なり、R&Bや歌謡曲を融合させた音楽性を目指していたことが特徴です。
本人は2026年のインタビューで、ダックテイルズの活動が落ち着いてきた頃に、自分が本当にやりたい音楽を改めて考えるようになったと話しています。
その後、所属事務所を離れ、自主制作カセットを作ったり、知人の洋服店に作品を置いてもらったりしながら活動を続けました。
1986年頃からは、後にクレイジーケンバンドのドラマーとなる廣石惠一もパーカッションで参加しています。この出会いは、後のCKB結成にもつながる重要な接点でした。
ZAZOU時代はクラブサウンドに挑戦
1988年には新しいソロプロジェクトを始動。その流れから生まれたのが、ERD(ENJOY RELAX DELIGHT)です。
アイク・ネルソンらとヒップホップやR&Bのバックトラックを制作する構想から始まりましたが、最終的には生演奏を中心としたバンド活動へと発展しました。
1989年、ERDはZAZOU(ザズー)に改名します。本人によると、パリで使われていた1950年代の若者文化を表す言葉からバンド名を思いついたそうです。
1990年にはデビューシングル「愛しの帰国子女」を発表。FM東京でヘビーローテーションとなるなど、新たな音楽的評価を獲得しました。
さらに、生演奏にターンテーブルやスクラッチ、サンプリングを組み合わせる実験的な音楽にも挑戦。現在のクレイジーケンバンドにつながるジャンル横断的な発想が、この頃から見られます。
CK'S時代にジェームス・ブラウンとP-FUNKの魅力を追求
ZAZOUの活動は1991年に終了しました。
その後、横山剣は作曲家として活動しようと考えていましたが、廣石惠一から誘われ、ジェームス・ブラウンの音楽を中心としたバンド活動に参加します。
これがCK'Sです。
最初はジェームス・ブラウンやP-FUNKのカバーが中心でしたが、次第にオリジナル曲も演奏するようになりました。
後にBrand New CK'Sという形に発展するものの、こちらも解散。若いメンバーとの音楽的な方向性の違いも経験しました。
興味深いのは、当時メンバーから演奏を禁止されていたオリジナル曲や「イイネ!」という言葉を、後にクレイジーケンバンドでは自由に表現できるようになったことです。
横山剣本人も、後のインタビューで、CK'Sでできなかったことをすべて受け入れたのがクレイジーケンバンドだったと振り返っています。
【1997年】クレイジーケンバンド結成!本牧から始まった新たな音楽人生
1997年春、横山剣は横浜本牧のイタリアンガーデンをきっかけに、クレイジーケンバンドを結成します。
クレイジーケンバンドの公式プロフィールにも、1997年春頃にイタリアンガーデンで誕生したことが記されています。
結成のきっかけは一度限りのライブだった
2026年のJOYSOUNDのインタビューによると、CK'S解散後の横山剣は、再び作曲活動を中心に生活していました。
そんな時、福生の植木店や静岡のアメリカ車カスタマイズショップからライブ出演の依頼が舞い込みます。
しかし、当時は固定のバンドがありませんでした。
そこで訪れたのが、本牧のイタリアンガーデンです。ここにはミュージシャン仲間が集まっており、ちょうどイベントを開催していました。
その場にいた廣石惠一、小野瀬雅生、新宮虎児、洞口信也、中西圭一らと一緒に演奏することになり、最初は一度限りのライブを想定していました。
ところが、演奏の手応えが良かったことから活動を継続。こうしてクレイジーケンバンドが誕生しました。
1998年にアルバム『PUNCH! PUNCH! PUNCH!』でデビュー
ここで押さえておきたいのが、結成とデビューの違いです。
クレイジーケンバンドの結成は1997年、1stアルバムによるデビューは1998年です。
ファーストアルバム『PUNCH! PUNCH! PUNCH!』は、P-VINEから発売されました。横山剣本人によると、アルバムの原盤制作費を自分たちで負担し、P-VINEに流通を依頼する方式を採用したそうです。
既存の芸能プロダクションやレコード会社にすべてを任せるのではなく、自分たちで働きながらバンドを支えるという考え方が、活動の基礎になっていました。
その後、ロックンロール、ソウル、ファンク、R&B、歌謡曲、ポップスなどを融合した独特のサウンドを確立。2002年の「GT」などを通して、幅広いリスナーに知られるようになります。
また、和田アキ子、TOKIO、SMAP、藤井フミヤ、一青窈など、他のアーティストへの楽曲提供も行い、作曲家としての活動も継続してきました。
【若い頃と現在を比較】横山剣の髪型・ファッション・写真の変化
横山剣の若い頃の写真や画像を探す人が多い理由の一つは、現在のステージ上の姿と1980年代の姿に大きな違いがあるためです。
現在の横山剣には、独特のヘアスタイルやサングラス、スーツを組み合わせた大人のロックンロールスタイルが定着しています。一方、若い頃は髪を立ち上げたリーゼントやダックテイルを特徴とするファッションでした。
1980年代はリーゼントとアメリカンスタイル
2022年の東洋経済オンラインのインタビューで、横山剣は1980年代のファッションについて、アメリカンなリーゼントや往年のサーファースタイルを好んでいたと説明しています。
10代の頃は古着のスーツを購入し、自分の体形に合うようサイズを調整して着ていました。さらに、横浜から福生まで足を運び、アメリカのR&B歌手ウィルソン・ピケットをイメージしたジャケットを仕立ててもらったこともあったそうです。
単に流行の服を着るのではなく、好きな音楽家のスタイルを参考に、自分なりの着こなしを作っていたことが分かります。
ダックテイルズ時代の髪型を2022年に再現
若い頃の横山剣の髪型を知るうえで注目したいのが、2022年3月26日に開催されたデビュー40周年記念ライブです。
このライブでは、アデランスが横山剣のためにオーダーメイドのリーゼントウィッグを制作しました。ダックテイルズ時代の髪型を再現する企画で、当時のナチュラルな黒髪や、前髪の一部を落とす特徴的なスタイルまで再現されています。
本人も、リーゼント姿で歌うことによってデビュー当時の気持ちや思い出がよみがえったとコメントしています。
当時を知るファンにとって懐かしいだけでなく、若い世代にとっても横山剣の過去の姿を知る機会になりました。
若い頃の写真・画像を見るならどの時代に注目する?
若い頃の写真を比較するなら、次の4つの時期が特に参考になります。
- 15歳頃:初めてバンドを組んで歌っていた学生時代。週刊女性PRIMEの2025年9月20日掲載記事には、当時のステージ写真が紹介されています。
- 1978年頃:CHOPPERの店員としてクールス関係者と交流していた時代。
- 1981年頃:クールスRCのボーカルとしてデビューした21歳前後。リーゼント姿が特徴的です。
- 1997年頃:クレイジーケンバンド結成時の写真。長年のバンド経験を経て、新しい音楽活動を始めた時期です。
特に週刊女性PRIMEの2025年の人物特集では、15歳の頃の写真や1978年のCHOPPER時代、1981年のクールスRC時代、1997年のCKB結成当時の写真が掲載されています。時代ごとの変化を比較したい人には参考になる資料です。
若い頃と2026年現在の違い
外見だけを見ると大きな変化がありますが、音楽やファッションに対する基本的な姿勢は一貫しています。
若い頃からアメリカの音楽やファッションを研究し、自分なりの表現を追求してきました。現在も楽曲のジャンルに応じて衣装やスタイルを変えるなど、見せ方へのこだわりを持ち続けています。
また、横山剣の魅力は、単に若い頃のリーゼント姿が格好良かったという話だけではありません。古着やバイク、車、横浜の文化など、自分が好きなものを長年にわたって音楽に取り込んできた点にあります。
【2026年最新】66歳の横山剣は現在も現役!最新アルバムと活動
2026年11月現在、横山剣は66歳。クレイジーケンバンドのリーダー兼ボーカリストとして活動を続けています。
クレイジーケンバンドの公式サイトでは、2026年のメンバーとして横山剣をボーカルに掲載。小野瀬雅生、洞口信也、中西圭一、新宮虎児、高橋利光、河合わかば、澤野博敬、スモーキー・テツニ、Ayesha、白川玄大らと活動しています。
2026年9月に通算26枚目のアルバム『何?』を発売
2026年の大きなトピックが、9月16日に発売されたクレイジーケンバンドの通算26枚目のオリジナルアルバム『何?』です。
公式ディスコグラフィーによると、全16曲を収録。初回限定盤には、2025年11月8日に横浜BUNTAIで開催された「華麗なるツアー2025-2026」のライブ映像を収めたDVDも付属しています。
2026年はクレイジーケンバンド結成29年、デビュー28年、そして横山剣自身の音楽デビュー45周年に当たります。
アルバムのタイトルや収録曲にも、現在の横山剣らしい遊び心とジャンルを横断する音楽性が表れています。
若い頃から変わらない音楽への好奇心
2026年9月のUSENのインタビューでは、新作『何?』について、完成されたベテランの作品というより、今も新しい刺激を求める姿勢が語られています。
幼少期から頭の中にメロディーを鳴らし続けてきた横山剣にとって、音楽は決まったジャンルや形式に収まるものではありません。
クールスRC時代のロックンロール、ダックテイルズのR&B、ZAZOUのクラブサウンド、CK'Sのファンク、そして現在のクレイジーケンバンド。過去の経験を切り捨てるのではなく、すべてを自分の音楽に取り込んできたことが、長く活動を続けられる理由の一つです。
【プロの結論】横山剣の若い頃を知ると現在の音楽がもっと面白くなる
横山剣のキャリアを振り返ると、単純な成功物語ではないことが分かります。
小学生で作曲を始め、中学生でバンドを組み、21歳でクールスRCのボーカリストとしてデビュー。しかし、その後は脱退や所属事務所との関係、バンドの解散などを経験しています。
そのたびに新しい音楽に挑戦し、最終的に自分が本当に表現したい音楽を実現する場所として、クレイジーケンバンドを作りました。
横山剣の経歴から分かる3つのポイント
1. 歌手としての成功よりも、作曲家としての夢が先にあった。
横山剣は学生時代から作曲家を目指しており、レコード会社への売り込みも経験しています。クールスRCへの加入も、最初からボーカリストを目指したものではありませんでした。自作曲を世に出すことが、音楽人生の出発点だったのです。
2. バンドの解散や脱退が音楽性を広げるきっかけになった。
クールスRCからダックテイルズ、ZAZOU、CK'Sへと活動場所を変えたことで、ロックンロールだけでなく、R&Bやファンク、クラブミュージックなど、さまざまな音楽を吸収しました。現在のCKBの多彩なサウンドは、こうした経験の積み重ねから生まれています。
3. 生活と音楽を両立させる選択が独自の活動基盤を作った。
横山剣は1994年から2002年頃まで、外資系の検査会社で働きながら音楽活動を続けていました。横浜港で輸出品の検査官として働き、昼は仕事、夜はバンドや作曲という生活を送っていたのです。
本人は、他人に経済的に依存せず、自分たちでバンドを支えるという考え方を持つようになったと語っています。
この経験が、1997年に結成したクレイジーケンバンドの自主性や、独特の活動スタイルにつながりました。
若い頃の情報や写真を調べる際の判断基準
横山剣の若い頃について調べるときは、写真が撮影された年代と所属バンドを確認することが大切です。
- 1981年のクールスRC時代と1980年代後半のダックテイルズ時代では、活動していた音楽やファッションの方向性が異なる。
- リーゼント姿はデビュー当時の代表的なスタイルだが、10代の古着スーツやサーフスタイルなど、時期によって着こなしも変化している。
- 1997年のCKB結成写真は、若い頃のクールスRC時代とは別の音楽的転換点を示している。
- 本人の発言や公式プロフィール、音楽メディアの取材写真を照らし合わせると、年代の取り違えを防ぎやすい。
見た目の変化だけを追うのではなく、その時代に何を目指していたのかまで確認すると、横山剣というアーティストの魅力がより深く理解できます。
横山剣の若い頃に関するよくある質問(FAQ)
Q1:横山剣は若い頃、何歳でデビューしましたか?
A1:1981年、21歳のときにクールスRCのコンポーザー兼ボーカリストとしてデビューしました。代表的な楽曲が、加入前に制作していた「シンデレラ・リバティ」です。
Q2:横山剣の若い頃の髪型はリーゼントだったのですか?
A2:はい。1980年代にはアメリカンなリーゼントやダックテイルを取り入れたスタイルをしていました。2022年のデビュー40周年記念ライブでは、アデランスの協力によって当時の髪型が再現されています。
Q3:横山剣はクールスRCを脱退した後、何をしていましたか?
A3:ダックテイルズ、ZAZOU、CK'Sなどのバンドで活動しました。また、1994年から2002年頃までは横浜港を中心に検査官の仕事をしながら、夜間に音楽活動や作曲を続けていました。
Q4:クレイジーケンバンドはいつ結成されましたか?
A4:1997年春、横浜本牧のイタリアンガーデンをきっかけに結成されました。1998年にファーストアルバム『PUNCH! PUNCH! PUNCH!』を発売しています。
Q5:2026年現在、横山剣は何歳ですか?
A5:1960年7月7日生まれの66歳です。2026年9月にはクレイジーケンバンドの通算26枚目のアルバム『何?』を発売し、現在も音楽活動を続けています。
まとめ:横山剣の若い頃は挑戦の連続!本牧から現在まで続く音楽人生
横山剣の若い頃は、音楽への情熱と新しい表現を追い求める挑戦の連続でした。
本牧で育ち、小学生から作曲を始め、中学生でバンド活動を経験。1981年には21歳でクールスRCのボーカリストとしてデビューしました。その後、ダックテイルズ、ZAZOU、CK'Sと音楽性を広げ、1997年にクレイジーケンバンドを結成しています。
リーゼントや古着のスーツを着こなしていた若い頃から、現在の独特なステージスタイルまで、外見は変化しても音楽への好奇心は変わっていません。
2026年には66歳を迎え、クレイジーケンバンドの結成29周年と自身のデビュー45周年という節目に、最新アルバム『何?』を発表しました。
横山剣の魅力は、若い頃の格好良さだけではなく、さまざまな経験を音楽に変え続けてきたところにあります。1981年のクールスRC時代から2026年の現在までを振り返ると、クレイジーケンバンドのサウンドがどのように生まれ、育ってきたのかが見えてきます。 (出典: 横山 剣 若い 頃(Yahoo!ニュース))