神様はいないと思うのはなぜ?科学・哲学・心理から神の存在を徹底解説【2026年版】
「神様はいない」と思うのは、特別なことなのだろうか。理不尽な事故や病気、大切な人との別れ、努力が報われない現実を前にして、「もし神様がいるのなら、なぜこんなことが起きるのか」と疑問を抱いた経験がある人は少なくない。
神の存在をめぐる問題は、単純に信じるか信じないかだけでは片づけられない。哲学には神の存在を説明しようとする論証があり、反対に世界の苦しみや不条理を根拠として神の存在に疑問を投げかける議論もある。科学が説明できる現象の範囲と、宗教が扱う生きる意味や価値の問題も、必ずしも同じではない。
2026年現在の宗教意識に関する国際調査や日本の学術研究も踏まえながら、「神様はいない」と考える理由、そう感じる人の心理、無神論と不可知論の違い、神の存在証明をめぐる代表的な議論を整理する。信仰を持てない自分を責めず、答えの出ない問いとどう向き合えばよいのかを考えたい。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 神様はいないと思う主な理由:世界の不条理、悪や苦痛の存在、科学的な世界観、宗教への不信感などがある。
- 信じないことと無宗教は同じではない:神を否定する無神論、存在を判断できない不可知論、特定の宗教に所属しない立場は区別される。
- 神の存在には決着がついていない:哲学的な存在論証と反論が現在も議論されており、科学だけで神の存在・不存在を確定することも難しい。
【なぜ神様はいないと思うのか】理不尽な出来事と人間の心理
「神様はいない」と感じるきっかけは、人によって違う。幼少期から宗教に親しんでこなかった人もいれば、かつて信仰を持っていたものの、人生の経験を通して考え方が変わった人もいる。
その背景には、世界の仕組みについての疑問だけでなく、感情、経験、人間関係、社会環境などが複雑に関係している。
1.善人が苦しみ、悪人が報われる世界への疑問
神様の存在を疑う大きな理由の一つが、世界の不公平さだ。
真面目に働いてきた人が突然病気になる一方で、他人を傷つけた人が何事もなく暮らしている。子どもが理不尽な被害に遭い、助けを求める人に救いの手が届かないこともある。
もし神が全知全能で、完全な善意を持つ存在なら、なぜこうした苦しみを防がないのか。
この疑問は、哲学で「悪の問題」と呼ばれる。単なる感情的な不満ではなく、神の性質と現実の世界を論理的に照らし合わせる議論である。
苦しんでいる人に対して「神様が与えた試練だから」と説明しても、その人の痛みが消えるわけではない。むしろ、説明のつかない苦しみに意味を押しつけられたと感じ、信仰から距離を置く場合もある。
2.科学によって自然現象を説明できるようになった
かつて人間は、雷、地震、疫病、日食などの原因を十分に理解できなかった。自然の背後に神や超自然的な力を想定することは、世界を理解するための一つの方法だった。
しかし、天文学、物理学、生物学、医学などが発展し、自然現象や生命の仕組みについて多くの説明が可能になった。
例えば、病気は感染症の原因となる微生物や遺伝的要因、生活環境などから研究できる。雷も大気中の電気的な現象として説明される。
こうした科学的な説明に慣れると、自然現象を神の意思によって説明する必要性を感じなくなる人もいる。
ただし、科学が自然現象を説明できることと、神が存在しないことは同じ意味ではない。科学は観察や実験によって検証できる現象を扱う一方、神の存在は、その定義によっては経験科学だけでは検証しきれない哲学的な問題でもある。
3.祈っても状況が変わらなかった経験
信仰を持つ人にとって、祈りは希望や心の支えになることがある。
一方、何度祈っても病気が治らない、大切な人が戻ってこない、生活が改善しないといった経験が重なると、「神様はいないのではないか」と感じることもある。
ここで重要なのは、祈りによって期待した結果が得られなかったことと、祈る行為そのものに意味がなかったことは必ずしも同じではないという点だ。
祈りを、外部の超自然的な存在に現実を変えてもらう手段として捉える人もいれば、自分の気持ちを整理したり、亡くなった人を思い出したり、希望を保ったりする行為として捉える人もいる。
神頼みの意味は、祈る人の価値観や宗教的背景によって異なる。
4.宗教組織や信仰を持つ人への不信感
神を信じられなくなる理由は、神そのものに対する疑問だけではない。
宗教団体の不祥事、献金をめぐる問題、宗教的な価値観の押しつけ、異なる信仰を持つ人への差別などを目にして、宗教全般に距離を感じる人もいる。
しかし、宗教組織の問題と神の存在は、論理的には別の問題だ。ある宗教団体の行動に問題があったとしても、それだけで神の不存在が証明されるわけではない。
逆に、宗教団体が社会貢献をしているからといって、神の存在が証明されるわけでもない。
信仰の対象、教義、宗教組織、信者個人の行動を分けて考えることが、冷静な判断につながる。
【2026年の調査で見る宗教意識】無宗教でも神や霊を信じる人はいる
「神様はいない」と考える人が増えているのかを考える際には、宗教への所属と、神の存在を信じるかどうかを区別する必要がある。
2025年から2026年に公表された調査・研究は、日本人の宗教意識が単純な二分法では捉えられないことを示している。
日本人の44%が宗教を持つと回答した2025年の調査
米国の調査機関Pew Research Centerが2025年5月6日に公表した35か国の宗教意識調査では、日本の成人のうち、何らかの宗教を持つと回答した人は44%だった。
一方、自分の生活に宗教が非常に重要だと答えた人は7%にとどまった。
この数字から、日本では宗教を日常生活の中心に置く人が比較的少ないことが読み取れる。
ただし、宗教を持たないと答えた人が全員、神の存在を否定しているわけではない。宗教団体に所属しない人でも、神社への参拝、先祖供養、目に見えない存在への信念を持つ場合がある。
2026年の日本の学術研究が示した意外な実態
2026年4月12日、同志社大学の清水晃希氏と北海道大学の櫻井義秀氏による、日本の宗教意識に関する研究ノートが学術誌「Journal for the Scientific Study of Religion」に掲載された。
この研究は、2024年に実施された全国規模の郵送調査を分析したもので、調査規模は3,947人。
注目されるのは、宗教的な自己認識、神々への信念、実際の宗教的な習慣が必ずしも一致しないという結果だ。
分析対象者のうち、無神論者と回答した人は8.3%。「無神論者でも宗教的な信者でもない」という立場を選んだ人は31.7%だった。
さらに、宗教を持たないグループでも、初詣に行く人は84%、お盆の先祖供養を行う人は53%に達した。
つまり、宗教的な信仰を持たないと自己認識していても、神社や仏教に関係する行事を生活の一部として続ける人は少なくない。
無宗教でも多神論や不可知論を選ぶ人がいる
同研究では、神々や霊の存在についても調査している。
宗教を持たないグループでは、神や霊が存在するかどうかについて、人間には確実には判断できないとする不可知論が61%だった。また、複数の神や霊が存在するとする多神論も24%に達した。
ここから分かるのは、無宗教という言葉が必ずしも「目に見えない存在を一切信じない」という意味ではないことだ。
日本では、宗教を教義への同意や組織への所属として理解する人もいれば、先祖供養や季節の行事を文化的な習慣として受け止める人もいる。
質問の仕方によっても回答は変わる。宗教を「信じているか」と尋ねる場合と、「何らかの宗教を持っているか」と尋ねる場合では、同じ人でも異なる回答をする可能性がある。
日本の宗教意識を理解するための比較表
| 調査・項目 | 結果 | 読み取れること |
|---|---|---|
| Pew Research Center・2025年 | 宗教を持つ人44% | 宗教的所属を持つ人は半数未満 |
| Pew Research Center・2025年 | 宗教が非常に重要な人7% | 宗教を生活の中心とする人は少ない |
| 日本の2024年全国調査を分析した2026年研究 | 無神論者8.3% | 神や霊の不存在を明確に選ぶ人がいる |
| 同2026年研究 | 無神論者でも宗教的信者でもない人31.7% | 無神論と無宗教的な自己認識は区別される |
| 同2026年研究・無宗教グループ | 初詣84%、お盆の先祖供養53% | 宗教的習慣と信仰は必ずしも一致しない |
| 同2026年研究・無宗教グループ | 不可知論61%、多神論24% | 無宗教でも超自然的な存在に対する考え方は多様 |
なお、各調査は質問形式や対象者の分類が異なるため、数値をそのまま同一基準で比較することはできない。
また、Pew Research Centerが2026年3月11日に発表した東アジアの仏教に関する分析では、日本で仏教徒として育った成人の40%が、現在は宗教的に無所属と回答している。
宗教から離れることは、必ずしも積極的に神を否定することではない。家族の習慣を引き継ぐ機会が減ったり、進学や就職によって地域社会との関係が変化したりすることも、宗教との距離に関係している。
【神の存在証明は成立するのか】有神論・無神論・不可知論の違い
「神は存在するのか」という問いには、哲学の長い歴史がある。
神の存在を肯定する立場にも否定する立場にも、それぞれ論理的な根拠がある。重要なのは、どちらか一方の考え方だけを知って結論を出すのではなく、双方の主張がどのような前提に基づいているかを理解することだ。
有神論とは何か
有神論とは、神が存在すると考える立場である。
特に一神教では、世界を創造し、知性や意志を持ち、人間や自然に関係する神を想定する。
ただし、有神論にもさまざまな考え方がある。
- 一神論:唯一の神が存在すると考える。
- 多神論:複数の神々が存在すると考える。
- 理神論:神が宇宙を創造したものの、その後は自然法則に任せていると考える。
- 汎神論:神と宇宙・自然を同一視する考え方。
有神論を一つの固定された教義として扱うことはできない。
無神論とは何か
無神論とは、神の存在を否定する立場、あるいは神への信念を持たない状態を指す言葉として使われる。
哲学では、神が存在しないという命題を肯定する意味で用いるのが一般的だが、日常会話では神を信じていない人全般を指すこともある。
この違いは重要だ。
例えば、神の存在を積極的に否定する人と、神について考えたことがなく、特に信仰を持っていない人では、立場が異なる。
また、宗教に所属していないことだけを理由に、その人を無神論者と決めつけることもできない。
不可知論とは何か
不可知論とは、神が存在するかどうかについて、人間には確実な知識を得られない、あるいは現時点では判断できないとする立場だ。
「神様はいない」と断言するのではなく、「存在するとも存在しないとも証明できない」と考える。
信仰を持つことに抵抗があっても、神の不存在を断定するだけの根拠もないと感じる人にとって、不可知論は一つの選択肢になる。
スタンフォード哲学百科事典でも、無神論と不可知論は異なる概念として整理されている。
神の存在を支持する代表的な3つの論証
神の存在を説明しようとする哲学的な議論には、主に次のようなものがある。
① 宇宙論的論証
宇宙に存在するものには原因や説明があると考え、その究極的な原因として神を想定する議論だ。
「なぜ何もないのではなく、何かが存在するのか」という根本的な疑問から出発する。
宇宙の始まりや、存在するものが依存する究極的な根拠を考えたとき、第一原因や必然的存在を想定する考え方である。
ただし、仮に宇宙の第一原因が存在するとしても、それが人間の願いを聞く人格的な神なのか、善悪を判断する存在なのかまでは、自動的には導けない。
② 目的論的論証
自然界の秩序や生命の精巧な仕組みを根拠に、背後に設計者のような知性が存在するのではないかと考える議論だ。
宇宙の物理定数や生命が成立する条件の精密さを取り上げる、いわゆる微調整論もこの系統に含まれる。
一方、反論としては、自然選択による生命の進化、物理法則による秩序の形成、観測できない宇宙の可能性などが挙げられる。
自然に秩序があるという事実だけで、その原因が神であると確定することはできない。
③ 存在論的論証
世界を観察するのではなく、神という概念そのものから神の存在を導こうとする議論だ。
11世紀の哲学者アンセルムスは、神を「それ以上に偉大なものが考えられない存在」と捉え、その概念から神の存在を論証しようとした。
この考え方に対しては、概念上の存在と現実に存在することは別ではないかという批判がある。
つまり、完全な存在を定義しただけで、その存在が現実の世界にいることまで証明できるのかという問題だ。
神の存在をめぐる主な議論の関係性
| 立場・議論 | 基本的な主張 | 主な論点・反論 |
|---|---|---|
| 有神論 | 神は存在する | 神の性質や存在の根拠が問われる |
| 無神論 | 神は存在しない、または神への信念を持たない | 否定の根拠と定義の違いが問題になる |
| 不可知論 | 神の存在は確実には判断できない | 人間が知り得る範囲が問われる |
| 宇宙論的論証 | 宇宙や存在の究極的な原因として神を想定する | 第一原因が神であるといえるのか |
| 目的論的論証 | 自然界の秩序や精密さを設計の根拠とする | 自然法則や進化による説明との比較 |
| 存在論的論証 | 神の概念から神の存在を導こうとする | 概念上の存在と現実の存在の違い |
| 悪の問題 | 世界の苦痛と完全な善の神の存在は両立するのかを問う | 自由意志や神の意図による反論がある |
これらの議論は、神の存在を数学の定理のように誰もが認めざるを得ない形で確定したものではない。それぞれの前提や推論の妥当性について、現在も哲学的な議論が続いている。
【宗教と科学の関係】科学は神様がいないことを証明したのか
神様はいないと考える人の中には、科学が発展した以上、神の存在を信じる必要はないと感じる人もいる。
しかし、科学と宗教の関係は、単純な対立構造ではない。
科学が証明できることと、哲学が扱うこと
科学は、観察、測定、実験、再現性のある検証を通じて、自然界の仕組みを説明する。
例えば、地球の形成、生命の進化、感染症の原因、宇宙の膨張などは、科学的な研究対象だ。
一方、「なぜ宇宙そのものが存在するのか」「人間が生きる意味とは何か」「善悪の基準はどこから生まれるのか」という問いには、科学的な知見だけでは答えきれない部分がある。
神が自然現象を直接引き起こす存在だと主張する場合、その主張が観測可能な結果を伴うなら科学的検証の対象になり得る。
しかし、自然界を超えた存在として定義され、観測可能な影響を主張しない神については、通常の科学的実験だけで存在・不存在を確定することは難しい。
米国科学アカデミーが示す科学と宗教の考え方
米国科学アカデミー(National Academy of Sciences)は、科学が宗教を証明することも否定することもできないという立場を示している。
科学の発展によって、地球の年齢や進化についての一部の宗教的な解釈が疑問視されたことは事実だ。
一方、宗教的な信念のすべてが科学的に検証可能な主張であるわけではない。
同機関は、科学的にまだ説明されていない現象を、すぐに超自然的な存在の証拠とみなす考え方にも注意を促している。
これは「隙間の神」と呼ばれる発想に関係する。
科学で説明できない部分を神の働きで埋め合わせる考え方は、科学的な知識が進歩してその現象が説明されたとき、神の説明の根拠まで失われてしまう可能性がある。
科学を信頼することと宗教を否定することは別
科学的な思考を重視しながら、宗教的な信念を持つ人もいる。
逆に、宗教的な価値観を持たず、自然科学による説明を中心に世界を理解する人もいる。
重要なのは、科学的な説明がある領域では検証可能な証拠を優先し、人生の意味や倫理の問題では哲学や社会的な議論も参照することだ。
科学を理由に神を信じない選択をすることは可能だが、科学そのものが神の不存在を確定したと説明するのは正確ではない。
【神様を信じられない心理】スピリチュアルや神頼みとはどう向き合う?
神様を信じられないことは、必ずしも心が冷たいことや、人生を悲観していることを意味しない。
そこには、合理性を重視する性格、これまでの経験、宗教に対する価値観など、さまざまな要因がある。
1.自分で確認できないものを信じることに抵抗がある
物事を判断するときに、証拠や論理を重視する人は、目に見えない神の存在を受け入れにくい場合がある。
誰かが神の存在を強く主張しても、自分で確かめられる根拠がなければ納得できないという考え方だ。
これは信仰を持つ人より優れているという意味でも、劣っているという意味でもない。何を根拠として世界を理解するかという認識の違いである。
2.人生の不条理によって信仰との距離が生まれる
大きな病気、事故、災害、喪失などを経験すると、それまで当然だと思っていた価値観が変化することがある。
特に、神が人間を守る存在だと信じていた場合、祈りが届かなかったと感じる経験は、信仰そのものへの疑問につながりやすい。
こうした経験を通して神の存在を疑うことは、精神的な弱さではない。
自分が経験した現実と、それまで信じていた世界観との間に矛盾を感じたとき、人間が考え方を見直すのは自然なことだ。
3.神様はいないと思ってもスピリチュアルな感覚は残る
神の存在を信じない人でも、自然の美しさや生命の神秘、亡くなった家族とのつながりに特別な意味を感じることがある。
これは、必ずしも宗教的な信仰を意味しない。
例えば、神社の森で心が落ち着いたり、満天の星空に圧倒されたり、故人の思い出を大切にしたりする感覚は、神の存在を肯定しなくても成立する。
スピリチュアルな感覚と、特定の神を信じることは別の問題だ。
2026年の日本の学術研究でも、宗教を持たない人の中に、神々や霊に対する考え方を持つ人や、宗教的な行事を続ける人がいることが示されている。
4.神頼みにはどのような意味があるのか
受験、就職、病気の回復、家族の安全などを願って神社に参拝する行為は、日本では身近な習慣になっている。
神頼みには、神の力によって願いを実現してもらうという信仰的な意味がある一方、自分の願いや目標を改めて意識するという個人的な意味もある。
例えば、受験前に合格祈願をした人が、その後の勉強に集中することはあるだろう。
しかし、参拝したから必ず合格するわけではない。祈願を現実の結果を保証する契約のように捉えると、期待が裏切られたときに大きな失望を感じる可能性がある。
神頼みをするかどうかは自由だ。信じていない人が参拝しても、信仰を持たない自分を責める必要はない。
5.信仰を持てない自分を無理に変える必要はない
周囲の人が信仰を大切にしているからといって、自分も同じ考え方を持たなければならないわけではない。
神様はいないと思うことも、神の存在について判断を保留することも、個人の思想や信条に関わる問題である。
ただし、自分の考えを大切にすることと、異なる信仰を持つ人を否定することは別だ。
信仰を持つ人にも持たない人にも、それぞれの人生経験や価値観がある。互いの立場を理解する姿勢は、宗教的な所属とは関係なく持つことができる。
【神様はいない名言と哲学的な視点】答えの出ない問いにどう向き合うか
神の存在について考えるとき、哲学者や文学者が残した言葉が参考になることがある。
ただし、印象的な名言と、神の存在を証明する論拠は区別しなければならない。
ニーチェの「神は死んだ」が意味するもの
神の存在をめぐる議論でよく知られている表現の一つが、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェによる「神は死んだ」という言葉だ。
この表現は、1882年刊行の『悦ばしき知識』などに登場する。
一般には無神論を象徴する言葉として紹介されることが多いが、ニーチェの問題意識は単純な神の否定にとどまらない。
彼が問いかけたのは、キリスト教の神への信仰が社会の共通基盤として力を失ったとき、それまで神を根拠としてきた道徳や価値観はどうなるのかという問題だった。
つまり「神は死んだ」は、科学によって神の不存在が証明されたという意味ではない。
神への信仰が社会の価値観を支える力を失った後、人間は何を根拠に生き、善悪を判断するのかという、より大きな哲学的課題を示している。
神様はいないという考え方からニヒリズムに進む必要はない
神が存在しないと考えた場合、「人生には意味がない」と感じる人もいる。
しかし、神の存在を否定することと、人生の意味を否定することは同じではない。
人生の意味は、必ずしも超自然的な存在から与えられなければならないものではない。
家族を大切にすること、誰かを助けること、仕事に誇りを持つこと、好きなことを追求することなど、人間が自分の経験や選択を通して価値を見いだすこともできる。
神がいないと考える人にとっても、善悪や思いやり、責任といった倫理的な問題は残る。
むしろ、絶対的な存在に判断を委ねないからこそ、自分の行動が他人に与える影響を考える必要があるともいえる。
神の存在を疑うことと、他人の信仰を否定することは違う
インターネットでは、「神様はいない」という考え方を支持する言葉や、宗教への批判的な名言が紹介されることがある。
しかし、短い言葉だけを切り取ると、元の思想が持っていた意味を誤解する可能性がある。
例えば、ニーチェの思想を単純に「神はいないから何をしてもいい」と解釈するのは正確ではない。
名言を参考にするときは、誰が、どの著作で、どのような問題意識から述べたのかを確認したい。
また、神の存在を否定することを理由に、信仰を持つ人を非合理的だと決めつけることも避けたい。
信仰の有無と、その人の知性、倫理観、思いやりは直接結びつくものではない。
【プロの結論】神の存在よりも、自分が何を根拠に生きるかを考える
「神様はいない」という問いには、簡単な答えがない。
神の存在を支持する哲学的な論証はあるが、それらの前提には反論がある。神の不存在を支持する悪の問題や神の隠れの問題にも、反対側からの応答が存在する。
ここで大切なのは、答えが決まっていないことを、考える価値がないという意味に捉えないことだ。
神様を信じられないのであれば、無理に信じる必要はない。神の存在を完全に否定できないのであれば、不可知論という立場もある。
自分の考えを整理するときには、次の3点を意識するとよい。
- 何を神と呼んでいるのか:人間を見守る人格的な神なのか、宇宙の根本原理なのか、日本の神道における神々なのかを区別する。
- どのような証拠を求めているのか:科学的な観測、哲学的な論証、個人的な体験では、それぞれ根拠の性質が違う。
- その考え方が人生にどう影響するのか:神を信じるかどうかにかかわらず、他人を尊重し、自分の行動に責任を持つことはできる。
神の存在について結論を出せないままでも、人は誰かを愛し、働き、学び、人生の意味を考えながら生きていける。
【神様はいない】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:神様がいないことを証明する証拠はありますか?
神の不存在をあらゆる立場から決定的に証明したものはありません。ただし、世界の苦しみや不条理、神の存在が明確に感じられないことなどを根拠に、神の存在に疑問を投げかける哲学的議論はあります。
Q2:神様を信じられない人は無神論者ですか?
必ずしもそうではありません。神が存在しないと考える無神論者もいれば、存在するかどうか判断できない不可知論者もいます。宗教に所属していないだけで、無神論者と決まるわけでもありません。
Q3:科学が発展すれば神様はいないと証明できますか?
科学は自然現象を検証する方法であり、神の定義によっては存在・不存在を直接証明できません。自然現象について科学的な説明が進んでも、宇宙の究極的な原因や人生の意味についての哲学的な問いがすべて解決するわけではありません。
Q4:神様はいないと思うのは悪いことですか?
神を信じないこと自体は悪いことではありません。信仰を持つかどうかは個人の思想や信条に関わる問題です。大切なのは、自分と異なる考え方を持つ人の自由や尊厳も尊重することです。
Q5:無宗教でも神社に参拝したり神頼みをしたりしてよいですか?
もちろんです。参拝や初詣は文化的な習慣として行う人もいます。特定の宗教への信仰がなければ参拝できないという決まりはありません。神頼みをするかどうかも本人の自由です。
まとめ:神様はいないと思う自分を否定せず、考え続けることが大切
「神様はいない」と感じる背景には、理不尽な出来事への疑問、科学的な世界観、宗教への不信感、個人的な経験など、さまざまな理由がある。
哲学には宇宙論的論証、目的論的論証、存在論的論証など、神の存在を支持する議論がある。一方、悪の問題や神の隠れの問題など、神の存在に疑問を投げかける議論もある。いずれも重要な論点だが、誰もが納得する最終的な証明には至っていない。
2026年の日本に関する調査・研究からも、無宗教、無神論、不可知論、神々への信念、伝統的な宗教習慣は、必ずしも一致しないことが分かる。
神を信じることも、信じないことも、簡単に優劣をつけられるものではない。大切なのは、自分が何を根拠に世界を理解し、どのような価値観を持って生きていくのかを考えることだ。
神様がいるかどうかの答えが出なくても、今日をどう生きるかは自分で選べる。信仰の有無にかかわらず、他人への思いやりや自分の人生に対する責任を大切にすることはできる。
主な参照資料
- Pew Research Center「Believing in Spirits and Life After Death Is Common Around the World」(2025年5月)
- Pew Research Center「Buddhism’s Recent Decline in East Asia」(2026年3月)
- Shimizu・Sakurai「Ambiguous Boundaries of Religious Belief, Behavior, and Belonging in Japan」(2026年4月)
- Stanford Encyclopedia of Philosophy「Atheism and Agnosticism」「The Problem of Evil」「Cosmological Argument」
- National Academy of Sciences「Evolution Resources」
- Stanford Encyclopedia of Philosophy「Friedrich Nietzsche」
(出典: 神様 は いない(Yahoo!ニュース))