【原点をたどる】温水洋一の学生時代は宮崎県都城市にあった
宮崎県立都城西高校で演劇と出会う
温水洋一さんは、1964年6月19日、宮崎県都城市生まれです。地元の宮崎県立都城西高校に進学し、高校時代に演劇と出会いました。
興味深いのは、最初から俳優を目指して演劇部に入ったわけではなかったことです。
2025年5月の双葉社「THE CHANGE」のインタビューで、温水さんは高校時代について、ある女の子に勧められて演劇部に入ったことが人生の始まりだったと振り返っています。
「まずはある女の子が勧めてくれて、高校のときに演劇部に入ったことから始まりました」
この出会いが、後の俳優人生につながっていきました。
高校時代の温水さんにとって、演劇は将来の職業を決めるための手段というより、自分を表現できる場所だったと考えられます。
また、同じ都城西高校の出身者として知られる俳優の永瀬正敏さんとは、先輩・後輩の関係にあります。
日本福祉大学でも演劇研究会に所属
高校卒業後、温水さんは愛知県にある日本福祉大学へ進学しました。
大学でも演劇への関心は続き、演劇研究会(劇研)に所属。学生生活の中で芝居に取り組み、舞台表現への理解を深めていきました。
KINENOTEの略歴でも、都城西高校で演劇活動を始め、日本福祉大学進学後も劇研に所属していたことが紹介されています。
ここで注目したいのは、高校から大学まで演劇を継続していた点です。
高校時代に偶然勧められた活動が、大学でも続くほど本人にとって大切なものになっていたのです。
大学時代の経験が、その後の小劇場での活動や劇団への参加につながっていきます。
【1988年の転機】温水洋一が劇団大人計画に入団した理由
松尾スズキとの出会いが俳優人生を動かした
温水さんの経歴における大きな転換点が、1988年の劇団「大人計画」入団です。
大人計画は、演出家・劇作家としても知られる松尾スズキさんが主宰する劇団です。
温水さんは1988年に上京した際、旗揚げ前の試演会を偶然観劇しました。
そこで目にした舞台に強く惹かれ、劇団への参加を決めます。
KINENOTEの人物略歴によると、温水さんは大人計画の第1回公演『手塚治虫の生涯』から参加し、その後も多くの公演に出演しました。
当時の大人計画は、現在のように広く一般に知られた劇団ではありませんでした。
小劇場を中心に活動する若い演劇人たちの集団であり、そこでの経験は温水さんの演技の土台を作っていきます。
松尾スズキと組んだコントユニット「鼻と小箱」
大人計画での温水さんの活動は、舞台出演だけではありません。
主宰者の松尾スズキさんとは、コントユニット「鼻と小箱」でも活動していました。
劇団内での舞台経験に加え、コントを通じて笑いを生み出す表現にも携わっていたのです。
この経験は、後年のバラエティー番組で見せる独特の間や、共演者との掛け合いにもつながる要素だったと考えられます。
また、大人計画に所属しながら、ほかの劇団や演劇プロジェクトにも出演しています。
代表的な外部活動には、次のようなものがあります。
- WAHAHA本舗『神のようにだまして』(1990年)
- 遊園地再生事業団『遊園地再生』(1990年)
- WAHAHA本舗『人生の意味○三』(1991年)
- 竹中直人プロデュース『市ヶ尾の坂』(1992年)
こうした舞台経験を通して、温水さんは独自の存在感を持つ舞台俳優として活動の幅を広げていきました。
大人計画には1994年まで在籍
意外に知られていないのが、温水さんは大人計画に長期間所属し続けたわけではないという点です。
所属期間は1988年から1994年まで。
1994年には劇団を退団し、映画やテレビなど個人での活動を広げていきました。
現在も大人計画に所属していると誤解されることがありますが、当時の所属歴と現在の所属事務所は区別する必要があります。
現在の所属先はオフィス・ワン・ツゥ・スリーです。
【映画デビュー】1993年の出演作と1994年『119』での存在感
1993年『中指姫・俺たちゃどうなる?』で映画初出演
舞台を中心に活動していた温水さんが、映像作品に進出したのは1993年です。
KINENOTEの略歴によると、映画デビュー作は堤ユキヒコ(現・堤幸彦)監督の『中指姫・俺たちゃどうなる?』。
出演は端役でしたが、これが映画への最初の出演となりました。
ここで押さえておきたいのは、温水さんはテレビで人気になってから映画に進出した俳優ではないということです。
小劇場で経験を積みながら、1990年代前半にはすでに映画出演も始めていました。
1994年の映画『119』で竹中直人と共演
映画出演の初期における重要作品が、1994年公開の『119』です。
同作は、俳優の竹中直人さんが監督を務めた作品です。
松竹の公式作品データベースによると、公開日は1994年11月5日。18年間火事が起きていない海辺の町を舞台に、消防士たちの日常と人間関係を描いています。
温水さんが演じたのは、消防分署の隊員・中江雄一役です。
主な出演者には、次の俳優たちが名を連ねています。
- 竹中直人
- 赤井英和
- 鈴木京香
- 浅野忠信
- 津田寛治
- 温水洋一
温水さんは、竹中直人さんの監督作品に出演したことをきっかけに、映像の世界でも活動を広げていきました。
竹中直人との出会いはテレビ出演にも発展
1994年にはテレビ朝日の深夜バラエティー番組『竹中直人の恋のバカンス』にも出演しています。
映画だけでなく、テレビ番組でも竹中さんとの共演が実現したのです。
2025年の双葉社インタビューで温水さんは、自分の舞台を観に来た竹中さんが評価してくれたことを振り返っています。
つまり、映画『119』への出演は単独の仕事というだけではなく、舞台での活動が映像作品への出演につながった事例でもあります。
【経歴年表】温水洋一の若い頃から現在までを一覧で比較
ここまでの経歴を整理すると、温水さんの俳優人生には、学生時代の演劇との出会い、劇団での活動、映画・テレビへの進出という明確な流れがあります。
次の表では、関係した人物や作品とともに主要な転換点をまとめました。
| 時期 | 出来事・関係者 | キャリア上の意味 |
|---|---|---|
| 1964年 | 宮崎県都城市で誕生 | 出身地 |
| 高校時代 | 都城西高校・演劇部 | 演劇を始める |
| 大学時代 | 日本福祉大学・劇研 | 演劇活動を継続 |
| 1988年 | 松尾スズキ主宰の大人計画に入団 | 本格的な舞台活動 |
| 1990~1992年 | WAHAHA本舗など外部公演 | 舞台経験を拡大 |
| 1993年 | 『中指姫・俺たちゃどうなる?』 | 映画初出演 |
| 1994年 | 映画『119』 | 竹中直人監督作品に出演 |
| 1994年 | 『竹中直人の恋のバカンス』 | テレビ出演でも注目 |
| 1994年 | 大人計画を退団 | 個人活動へ移行 |
| 2000年 | 舞台『七人ぐらいの兵士』 | 明石家さんまと共演 |
| 2000年代 | バラエティー番組・ドラマ出演 | 一般知名度が上昇 |
| 2017年 | 第52回紀伊國屋演劇賞個人賞 | 舞台俳優として評価 |
| 2026年 | テレビ・舞台・映画などで活動 | 62歳の現役俳優 |
出典:KINENOTE、松竹公式作品データベース、所属事務所公式プロフィール、双葉社インタビューをもとに整理。
年表から分かる温水洋一のキャリアの特徴
この年表から読み取れるのは、温水さんが若い頃から舞台を活動の中心にしていたことです。
1993年の映画初出演以前に、すでに劇団での経験や外部公演への出演歴がありました。
そのため、映画やテレビに出演するようになった時点で、舞台で培った演技力や独自のキャラクターを持っていたのです。
また、1994年の大人計画退団は、活動の方向性を変える節目でした。
舞台を中心にした活動から、映画・ドラマ・バラエティーへと仕事の領域を広げる転換期になったのです。
【明石家さんまとの出会い】「ぬっくん」の愛称が生まれた経緯
温水さんの知名度を大きく押し上げた人物として欠かせないのが、明石家さんまさんです。
ただし、2人の出会いは1990年代の映画出演時ではありません。
大きな転機となったのは、2000年の舞台『七人ぐらいの兵士』でした。
舞台での共演からバラエティー出演へ
2025年5月23日公開の双葉社「THE CHANGE」のインタビューで、温水さん自身が当時の経緯を語っています。
きっかけは、所ジョージさんと出演していた「ゼナ」のCMでした。
そのCMを見たさんまさんの目に留まり、PARCO劇場で上演された舞台『七人ぐらいの兵士』に呼ばれたといいます。
舞台には、さんまさんと温水さんが2人で掛け合う漫才のような場面がありました。
当初は5分程度だった出番が、さんまさんとのやりとりによって10分、15分と長くなっていったそうです。
さらに、その舞台を観に来ていたテレビ関係者の目にも留まり、舞台終了からわずか2日後には、日本テレビ系『踊る!さんま御殿!!』への出演が決まったと振り返っています。
「何もせんでええ、俺がいじるから」という言葉
温水さんは、テレビ出演についてさんまさんに相談した際の言葉も明かしています。
「何もせんでええ、俺がいじるから」
この言葉は、バラエティー番組でどのように振る舞えばいいのか分からなかった温水さんにとって、心強い後押しになりました。
さんまさんとの共演をきっかけに、『ダウンタウンDX』や『ごきげんよう』など、ほかのバラエティー番組にも出演するようになります。
その結果、舞台や映画を中心に知る演劇ファンだけでなく、テレビを通して温水さんを知る一般視聴者も増えていきました。
「ぬっくん」の愛称が定着
現在ではすっかりおなじみの「ぬっくん」という呼び名も、さんまさんとの関係を語るうえで重要です。
さんまさんが温水さんを「ぬっくん」と呼ぶようになり、その愛称がテレビを通じて広まりました。
温水さん自身も、2025年のインタビューで、この愛称で呼ばれることについて感謝の気持ちを語っています。
俳優としての実力だけでなく、共演者との掛け合いによって新たな魅力が引き出された好例です。
【若い頃と現在を比較】温水洋一の個性はどう変わった?
温水さんの若い頃と現在を比べると、単純に外見の変化だけでは説明できない俳優としての成長が見えてきます。
若い頃は舞台で独自の演技を磨いていた
1980年代後半から1990年代前半の温水さんは、大人計画を中心に小劇場で活動していました。
KINENOTEでは、当時の温水さんについて、被虐的なキャラクターを得意とする個性的な舞台俳優だったと紹介しています。
主役を演じることだけを目指すのではなく、独特の存在感を生かした役柄で舞台に立っていました。
この時期に培った演技の幅が、後年の映像作品での活躍につながっています。
現在は名バイプレイヤーとして幅広く活躍
現在の温水さんは、映画・テレビドラマ・舞台・バラエティーと、さまざまなジャンルで活動する俳優です。
所属事務所の公式プロフィールには、次のような代表的な出演歴が掲載されています。
- NHK連続テレビ小説『ウェルかめ』
- NHK連続テレビ小説『マッサン』
- NHK大河ドラマ『平清盛』
- NHK大河ドラマ『真田丸』
- フジテレビ系『BOSS』シリーズ
- 映画『ALWAYS』シリーズ
- 映画『ダメジン』
- 映画『インスタント沼』
また、2017年には第52回紀伊國屋演劇賞の個人賞を受賞しています。
バラエティーでの親しみやすいキャラクターだけではなく、舞台俳優としても評価されていることが分かります。
2026年現在の活動は?
2026年11月現在、温水さんは62歳です。
所属事務所の公式プロフィールには、フジテレビ系の『ぶらぶらサタデー・タカトシ温水の路線バスで!』がレギュラー番組として掲載されています。
さらに、2026年には以下のような活動情報が公式サイトで告知されています。
- 2026年6月:縦型ショートドラマ『コンビニ彼氏はポンコツ御曹司!?』に出演。
- 2026年8月:NHK BS『世界ふれあい街歩き』のナレーションを担当。
- 2026年9月:ミュージカル『JUMP』への出演が発表。
- 2026年10月:日本農業新聞の「食の履歴書」にインタビューが掲載。
また、ミュージカル『JUMP』は2027年1月18日から2月7日までの公演予定として発表されています。
こうした情報からも、温水さんが2026年現在もテレビや舞台などで活動を続けていることが分かります。
若い頃の小劇場での経験を出発点に、現在は幅広い世代に親しまれる俳優へと活動の幅を広げています。
【写真・画像の見方】温水洋一の若い頃の姿を確認する方法
温水さんの若い頃の写真や画像を探している場合、注目したいのは1980年代後半から1990年代の出演作品です。
特に、次の資料は当時の姿を知る手がかりになります。
1. 劇団大人計画の初期公演に関する記録
1988年から1994年までの舞台活動を調べると、若手時代の温水さんの俳優としての姿をたどれます。
2. 1993年の映画『中指姫・俺たちゃどうなる?』
映画デビュー作なので、初期の映像出演を確認するうえで重要です。
3. 1994年の映画『119』
松竹の作品資料や当時の映画スチールは、若い頃の出演時期を確認する手がかりになります。
4. 1990年代の雑誌・映画関連資料
当時の映画雑誌や舞台関係の資料を調べることで、テレビで広く知られる前の活動を知ることができます。
なお、現在の宣材写真や2025年のインタビュー写真は、若い頃の写真とは撮影時期が異なります。画像を比較するときは、掲載媒体と撮影年代も確認すると、時代ごとの姿を正しく把握できます。
【温水洋一の若い頃】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:温水洋一は学生時代から俳優を目指していたのですか?
A1:高校時代に演劇部へ入ったことが演劇活動の始まりです。本人は2025年のインタビューで、ある女の子に勧められたことがきっかけだったと語っています。大学でも演劇研究会に所属し、芝居を続けていました。
Q2:温水洋一の出身高校と大学はどこですか?
A2:高校は宮崎県立都城西高校、大学は愛知県の日本福祉大学です。高校では演劇部、大学では演劇研究会に所属していました。
Q3:温水洋一が大人計画に入団したのは何年ですか?
A3:1988年です。松尾スズキさんが主宰する劇団の旗揚げ前の試演会を観たことが入団のきっかけでした。1994年まで所属していました。
Q4:温水洋一の映画デビュー作は何ですか?
A4:1993年公開の『中指姫・俺たちゃどうなる?』です。翌1994年には竹中直人監督の映画『119』にも出演しています。
Q5:温水洋一と明石家さんまの出会いはいつですか?
A5:大きな転機となったのは2000年の舞台『七人ぐらいの兵士』です。舞台での掛け合いをきっかけに『踊る!さんま御殿!!』への出演が決まり、バラエティー番組での知名度も上がりました。
Q6:温水洋一は2026年現在も俳優として活動していますか?
A6:はい。所属事務所の公式情報では、テレビ番組や映画、舞台、ナレーションなどの活動が掲載されています。2026年にも新たな出演情報が発表されています。
まとめ:温水洋一の若い頃を知ると現在の魅力がもっと分かる
温水洋一さんの若い頃を振り返ると、現在の個性的な俳優としての姿は、長年の演劇経験によって形作られたことが分かります。
宮崎県立都城西高校で演劇部に入り、日本福祉大学でも芝居を続け、1988年には松尾スズキさん主宰の大人計画に入団。1993年の映画初出演、1994年の『119』を経て、竹中直人さんとの出会いが映像分野での活動を広げるきっかけになりました。
そして2000年、明石家さんまさんとの舞台共演が新たな転機となり、「ぬっくん」の愛称で広く親しまれるようになります。
若い頃と現在をつなぐ最大の共通点は、独特の存在感と、舞台で培った表現力です。バラエティー番組で見せる親しみやすさだけでなく、映画やドラマ、舞台で長年活躍してきた実績にも目を向けると、温水洋一という俳優の魅力をより深く理解できます。
2026年も活動を続ける温水さん。学生時代の小さなきっかけから始まった演劇人生は、60代を迎えた現在も続いています。 (出典: 温水 洋一 若い 頃(Yahoo!ニュース))