【まず確認】「赤とんぼ」の作曲者は山田耕筰、作詞者は三木露風
「赤とんぼ」は、詩人と作曲家の共同作業によって生まれた日本を代表する童謡です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 曲名 | 赤とんぼ |
| 作詞 | 三木露風 |
| 作曲 | 山田耕筰 |
| 詩の初出 | 1921年(大正10年)8月 |
| 作曲年 | 1927年(昭和2年) |
| 作曲日 | 1927年1月29日 |
| 初出時の詩の題名 | 赤蜻蛉 |
| 詩の舞台 | 兵庫県龍野(現在の兵庫県たつの市) |
| 作品の種類 | 日本の童謡・歌曲 |
| 主な顕彰 | 2007年「日本の歌百選」選定 |
ピティナ・ピアノ曲事典は、作詞者を三木露風、作曲者を山田耕筰と記載し、1921年8月の詩の発表と1927年の作曲を区別しています。また、国立音楽大学附属図書館の展示資料には、作曲日が1927年1月29日と記録されています。
ここで押さえておきたいのは、1921年は詩が発表された年であり、曲が完成した年ではないという点です。
この6年間の隔たりには、詩人・三木露風による作品の推敲と、山田耕筰との交流が関係しています。
【誕生秘話】1921年の詩が1927年に名曲へ変わるまで
「赤とんぼ」は、最初から現在の歌詞とメロディーを備えた童謡だったわけではありません。
詩が生まれ、改稿され、山田耕筰によって曲が付けられるまでには、いくつかの段階がありました。
1. 1921年8月、雑誌『樫の実』に詩を発表
三木露風が最初に発表した作品の題名は、現在のひらがな表記ではなく、「赤蜻蛉」でした。
掲載されたのは、児童教育雑誌『樫の実』の1921年8月号です。
その後、同年12月18日に童謡集『真珠島』が刊行され、作品も収録されました。
兵庫県立美術館のネットミュージアム兵庫文学館にある三木露風館の資料によると、雑誌掲載時の作品には、その後の改稿が加えられています。
2. 1926年、童謡集『小鳥の友』に収録
次の重要な転機は、1926年(大正15年)です。
三木露風は、童謡詩人叢書の一冊として『小鳥の友』を刊行しました。
この作品集では、以前の「赤蜻蛉」という題名が「赤とんぼ」に改められています。
単なる表記変更ではありません。
兵庫県立美術館の資料によると、露風は子どもたちが歌いやすいように、作品のリズムや句読点にも配慮して改稿しました。
つまり、現在広く知られる「赤とんぼ」の歌詞は、1921年に発表された詩をそのまま使ったものではなく、数年にわたる推敲を経て整えられたものなのです。
3. 山田耕筰が通勤電車の中で曲を付けた
『小鳥の友』は、三木露風から山田耕筰に贈られました。
二人は文学・音楽の分野で交流のあった間柄です。
兵庫県立美術館の三木露風館の資料では、山田が贈られた童謡集を通勤電車の中で開き、気に入った詩にメロディーを付けたという経緯が紹介されています。
作曲の場所についても興味深い記録があります。
山田耕筰は1926年秋から神奈川県茅ヶ崎に住んでいました。茅ヶ崎市ゆかりの資料を紹介する学芸員の記事によると、東京の新橋まで通勤する列車の中で「赤とんぼ」の曲想を練り、1927年1月29日に完成させたとされています。
詩人が大切にしてきた幼少期の記憶と、作曲家が受け取った言葉の印象が、ここで一つの作品になりました。
4. 「赤蜻蛉」から「赤とんぼ」へ変化した意味
この改題にも、童謡としての性格が表れています。
漢字の「赤蜻蛉」は文学作品としての印象が強い一方、ひらがなの「赤とんぼ」は、子どもにも読みやすく、口に出して歌いやすい表記です。
作品の内容を大きく変えることなく、読者や歌い手に届きやすい形に整えたことが、長く親しまれる一因になったと考えられます。
【人物解説】山田耕筰の生涯と代表作品
「赤とんぼ」だけでなく、日本語の響きや抑揚を生かした歌曲を数多く残しました。
音楽家としての歩み
山田耕筰は1886年6月9日、東京に生まれました。
1908年に東京音楽学校を卒業した後、1910年から1913年までベルリン高等音楽学校で作曲を学びます。
帰国後は東京フィルハーモニー管弦楽団を創設し、指揮者としても活動しました。
さらに、北原白秋との協力によって日本語による歌曲の創作を進めます。
1942年には帝国芸術院会員となり、1956年には文化勲章を受章しました。
国立国会図書館の「近代日本人の肖像」でも、作曲家・指揮者としての功績と代表作品が紹介されています。
山田耕筰の代表作品
からたちの花
作詞は北原白秋。1925年に作曲された歌曲で、日本語の美しい響きを生かした代表作です。
この道
作詞は北原白秋。1927年2月24日に作曲された歌曲で、故郷を思う情感が特徴です。
赤とんぼ
作詞は三木露風。1927年1月29日に作曲された、日本を代表する童謡です。
待ちぼうけ
作詞は北原白秋。物語性のある歌詞と印象的な旋律で知られています。
ペチカ
作詞は北原白秋。冬の家庭の温かさを描いた童謡です。
これらの作品は、国立国会図書館の資料や山田耕筰の作品記録にも確認できます。
山田耕筰の作曲家としての特徴
山田耕筰の大きな功績は、西洋音楽の技法を学びながら、日本語の言葉に合った歌曲を数多く生み出したことです。
外国で学んだ音楽理論をそのまま日本に持ち込むのではなく、日本語のアクセントや言葉の流れを意識した作品を追求しました。
「赤とんぼ」の旋律にも、歌詞の懐かしさや静かな情感を引き立てる性格が表れています。
この作品が長年にわたって親しまれてきた背景には、詩の力だけでなく、言葉の感情を丁寧に受け止めた作曲の力もあります。
【人物解説】三木露風の生涯と代表作品
「赤とんぼ」の作詞者として広く知られていますが、本来は日本近代詩の発展に大きな足跡を残した文学者でもあります。
三木露風の生い立ち
三木露風は1889年6月23日、兵庫県の龍野に生まれました。本名は操です。
幼少期には祖父の家に引き取られ、故郷で少年時代を過ごしました。
1905年には詩歌集『夏姫』を自費出版。その後、上京して文学活動を続けます。
1909年には詩集『廃園』を発表し、詩人としての評価を高めました。
さらに『寂しき曙』『幻の田園』などを刊行し、象徴詩や宗教詩の分野でも活動しました。
1920年には故郷の兵庫に戻り、トラピスト修道院で講師を務めます。その後、北海道での生活を経て、童謡の創作にも力を注ぎました。
国立国会図書館と兵庫県立美術館の資料には、こうした文学活動や生涯の経歴が記録されています。
三木露風の代表作品
| 作品名 | 発表・刊行年 | 特徴 |
|---|---|---|
| 夏姫 | 1905年 | 初期の詩歌集 |
| 廃園 | 1909年 | 詩人としての評価を高めた代表的詩集 |
| 寂しき曙 | 1910年 | 象徴詩の代表的作品 |
| 幻の田園 | 1915年 | 宗教的な詩風への展開 |
| 真珠島 | 1921年 | 初期の童謡をまとめた作品集 |
| 小鳥の友 | 1926年 | 「赤とんぼ」を収録した童謡集 |
山田耕筰と三木露風の関係
二人の関係を理解するうえで重要なのが、文学と音楽の交流です。
山田耕筰は北原白秋との共同制作でも知られていますが、三木露風とも親交がありました。
露風が『小鳥の友』を贈り、山田がその中の詩に曲を付けたという成立過程は、単に作詞者と作曲者が分業したというだけではありません。
文学者が大切にしてきた詩を、音楽家が理解し、旋律として表現した共同制作だったのです。
【歌詞を深掘り】「赤とんぼ」の意味と「姐や」に隠された記憶
「赤とんぼ」の歌詞には、幼い頃の思い出、身近な人との別れ、故郷への郷愁が描かれています。
短い四つの節を読み解くと、子ども時代を振り返る大人の心情が浮かび上がります。
1番:背中に負われて見た赤とんぼ
最初の節では、幼い頃に赤とんぼを見た記憶が描かれます。
ここで重要なのが「負われて」という言葉です。
これは「追われて」という意味ではありません。
誰かに背負われていた、つまりおんぶされていたという意味です。
三木露風は幼い頃、子守をしてくれていた少女に背負われながら、故郷の風景を見ていました。
そのときの赤とんぼの記憶が、詩の出発点になっています。
2番:桑の実を摘んだ懐かしい時間
2番では、山の畑で桑の実を摘んだ思い出が登場します。
桑の実は、昔の農村では子どもたちにも身近な存在でした。
小さな籠を持って実を摘むという光景には、自然の中で過ごした幼少期の素朴な楽しさがあります。
この場面も、露風自身の子ども時代の記憶と結び付いています。
赤とんぼだけでなく、桑の実という具体的な自然の描写があることで、歌の風景に生活感が生まれています。
3番:「十五で姐やは嫁に行き」の意味
多くの人が疑問に思うのが、この節に登場する「姐や」です。
「姐や」とは、年上の女性を親しみを込めて呼ぶ表現です。
この歌の場合、実の姉ではなく、三木家で子守をしていた少女を指しています。
聖徳大学教育学部が紹介した童謡の解説授業でも、この人物は三木家で子守として働いていた少女であり、露風の姉ではないことが説明されています。
歌詞の「十五で嫁に行き」は、その少女が15歳で嫁いだことを表しています。
幼い露風にとって、背負ってくれたり、一緒に遊んでくれたりした姐やは、非常に身近で大切な存在でした。
その少女が嫁いで家を離れ、やがて便りも途絶えてしまったことが、歌詞に寂しさを与えています。
ここには、単に子守との別れを悲しむだけではなく、幼い頃に当たり前だった人や風景が、時間とともに遠ざかっていく切なさがあります。
4番:現在の風景と過去の記憶が重なる
最後の節では、赤とんぼが竿の先に止まっている光景が描かれます。
ここで注目したいのは、歌詞の時間の流れです。
最初の三つの節は、過去の記憶をたどっています。
それに対して最後は、目の前にある赤とんぼを見つめる現在の描写です。
つまり、赤とんぼを見たことがきっかけとなり、昔の故郷や姐やとの思い出がよみがえってくる構成になっています。
この時間の対比が、作品全体に深い余韻を与えています。
「赤とんぼ」の歌詞から読み取れる四つの要素
| 歌詞の場面 | 描かれていること | 感情・意味 |
|---|---|---|
| 1番 | 子守に背負われて赤とんぼを見る | 幼少期の記憶 |
| 2番 | 桑の実を摘む | 故郷の自然と楽しさ |
| 3番 | 姐やが嫁いでいく | 別れと寂しさ |
| 4番 | 竿の先の赤とんぼを見る | 過去への郷愁 |
このように読むと、「赤とんぼ」は秋の風景を描いた歌であると同時に、時間の経過と人との別れを描いた作品でもあります。
【2007年の選定】「日本の歌百選」に選ばれた理由と童謡の歴史
「赤とんぼ」は、2007年に選定された「日本の歌百選」にも名を連ねています。
この選定は、文化庁と日本PTA全国協議会が中心となって実施したもので、親から子、子から孫へと歌い継いでいきたい日本の歌を選ぶ取り組みでした。
「日本の歌百選」とは?
「日本の歌百選」は、童謡、唱歌、歌謡曲など、世代を超えて親しまれてきた歌を選定した企画です。
実際には101曲が選ばれています。
名称は「百選」ですが、親子で歌い継ぎたい作品を選ぶ中で101曲となりました。
「赤とんぼ」は、その中でも日本の童謡を代表する作品として位置付けられています。
なぜ「赤とんぼ」は長く歌い継がれているのか
理由は、大きく三つあります。
第一に、情景が具体的であること。
夕焼け、赤とんぼ、桑の実、竿の先など、誰もが想像しやすい風景が描かれています。
第二に、世代を問わず共感できること。
子どもの頃に大切だった人や、懐かしい故郷を思い出す感情は、時代が変わっても共通しています。
第三に、歌詞と旋律が調和していること。
三木露風の言葉に、山田耕筰が静かな叙情性を持つ旋律を付けたことで、詩の情感が音楽としても伝わる作品になりました。
大正時代の童謡文化と「赤とんぼ」
「赤とんぼ」が生まれた大正時代は、児童文学や童謡が大きく発展した時代でした。
1918年に創刊された児童雑誌『赤い鳥』をはじめ、子ども向けの文学作品や童謡を発表する場が広がりました。
三木露風も『樫の実』『こども雑誌』『少年倶楽部』『良友』など、複数の児童雑誌に作品を発表しています。
兵庫県立美術館の三木露風館の資料では、当時の童謡文化の広がりと、露風が童謡作家として活動した経緯が紹介されています。
ここで一つ、間違えやすい点があります。
「赤とんぼ」は、雑誌『赤い鳥』に最初に掲載された作品ではありません。初出は1921年8月号の『樫の実』です。
『赤い鳥』が象徴する大正期の童謡文化と、個別の作品の掲載誌は区別して理解する必要があります。
【よくある質問】赤とんぼの作曲者に関するFAQ
Q1:童謡「赤とんぼ」の作曲者は誰ですか?
A1:作曲者は山田耕筰です。作詞者は詩人の三木露風です。1927年に山田耕筰が曲を付けました。
Q2:「赤とんぼ」の詩はいつ発表されましたか?
A2:1921年(大正10年)8月です。児童教育雑誌『樫の実』に「赤蜻蛉」という題名で掲載されました。
Q3:「赤とんぼ」の姐やとは誰ですか?
A3:三木露風の実の姉ではなく、幼い頃に露風の世話をしていた子守の少女です。15歳で嫁いでいった人物として歌詞に登場します。
Q4:「赤とんぼ」の作曲日はいつですか?
A4:1927年1月29日です。国立音楽大学附属図書館の展示資料にも、この日付が記録されています。
Q5:「赤とんぼ」は何年に日本の歌百選に選ばれましたか?
A5:2007年です。文化庁と日本PTA全国協議会による「親子で歌いつごう 日本の歌百選」に選ばれました。
Q6:「赤とんぼ」は三木露風の実体験をもとにした歌ですか?
A6:はい。三木露風の幼少期の故郷での記憶や、子守をしてくれた少女との思い出をもとにした作品です。本人の回想にも、背負われて赤とんぼを見た記憶や、子守娘への思いが記されています。
【まとめ】赤とんぼの作曲者・山田耕筰と作詞者・三木露風が残したもの
童謡「赤とんぼ」の作曲者は山田耕筰、作詞者は三木露風です。
1921年に三木露風が詩を発表し、その後、童謡集への収録に際して改稿。1927年1月29日に山田耕筰が曲を完成させました。
歌詞に登場する「姐や」は、露風の実の姉ではなく、幼い頃に世話をしてくれた子守の少女です。背負われて見た赤とんぼ、桑の実を摘んだ記憶、そして少女との別れが、作品の中心にあります。
2007年には「日本の歌百選」に選ばれ、2026年現在も世代を超えて親しまれています。
「赤とんぼ」が伝えているのは、単なる秋の風景ではありません。誰にでもある幼い日の記憶、故郷への懐かしさ、そして大切な人との別れです。
詩人・三木露風の個人的な思い出を、作曲家・山田耕筰が日本語の美しさを生かした旋律に仕上げたこと。その二人の仕事が、100年を超えて歌い継がれる名曲を生み出しました。
作者と成立の背景を知ってから聴く「赤とんぼ」は、これまでとは少し違った深い響きを持って心に届くはずです。
主な参考資料
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」山田耕筰・三木露風
- 兵庫県立美術館「ネットミュージアム兵庫文学館」三木露風館
- 国立音楽大学附属図書館「日本語と歌・オペラ」
- ピティナ・ピアノ曲事典「赤とんぼ」
- 聖徳大学教育学部「有名な童謡の背景を探る」
- 茅ヶ崎・寒川タウンニュース「学芸員のイチ推し!」 (出典: 赤とんぼ 作曲 者(Yahoo!ニュース))