トワ・エ・モワ「虹と雪のバラード」誕生秘話と歌詞の意味、2026年の現在を徹底解説

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トワ・エ・モワ「虹と雪のバラード」誕生秘話と歌詞の意味、2026年の現在を徹底解説
トワ・エ・モワ「虹と雪のバラード」誕生秘話と歌詞の意味、2026年の現在を徹底解説
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🎵 トワ・エ・モワ「虹と雪のバラード」誕生秘話と歌詞の意味、2026年の現在を徹底解説

1972年の札幌オリンピックを象徴する名曲として、今も多くの人に親しまれているトワ・エ・モワの「虹と雪のバラード」。作詞を担当したのは詩人で札幌医科大学教授でもあった河邨文一郎、作曲は「翼をください」などでも知られる村井邦彦です。1971年8月25日に発売されたこの曲は、オリンピックの開催を前に人気を高め、第22回NHK紅白歌合戦でも披露されました。

実は、この曲は最初からトワ・エ・モワだけが歌う作品として作られたわけではありません。NHKの企画によって生まれ、複数の歌手がそれぞれのバージョンを発表した競作作品でもあります。誕生までの苦労、歌詞に込められた札幌への思い、そして2026年現在も続く二人の音楽活動を振り返ります。


📌 この記事の重要ポイントまとめ
- 誕生の背景: 1972年札幌オリンピックのテーマソングとしてNHKが企画した楽曲。
- 制作スタッフ: 作詞は河邨文一郎、作曲は村井邦彦。トワ・エ・モワ版は1971年8月25日発売。
- ヒットの経緯: 複数歌手による競作の中で、トワ・エ・モワ版が代表的なヒットとなった。
- 紅白出場: 1971年の第22回NHK紅白歌合戦で披露。
- 現在: 白鳥英美子と芥川澄夫は2026年もコンサート活動を続けている。

【名曲の正体】「虹と雪のバラード」は1972年札幌オリンピックの公式テーマソング

トワエモワ虹と雪のバラード
【画像】トワ エ モワ 虹 と 雪 の 関連ショット

「虹と雪のバラード」は、1972年2月3日から13日まで開催された第11回冬季オリンピック札幌大会に向けて制作された楽曲です。

一般に「札幌オリンピックの公式テーマソング」として知られていますが、制作の経緯をたどると、中心となったのはNHKの音楽企画でした。

単なるスポーツ大会の応援歌ではなく、札幌という街の未来や、そこに暮らす人々の希望を表現することが制作の大きな目的だったのです。

トワ・エ・モワとはどんなデュオ?

トワエモワ虹と雪のバラード
【写真】トワ エ モワ 虹 と 雪 の 近影・注目カット

トワ・エ・モワは、白鳥英美子と芥川澄夫による男女ポップスデュオです。

1969年、当時の山室英美子と芥川澄夫によって結成され、同年5月10日にシングル「或る日突然」でデビューしました。


当時の芸名は山室英美子。透明感のある歌声で知られ、デュオ解散後もソロ歌手として活動。「アメイジング・グレイス」などでも知られる。


トワ・エ・モワの男性ボーカル。解散後は音楽プロデューサーとしても活動し、歌手の育成や楽曲制作にも携わった。

二人の魅力は、男女の声が自然に重なり合う美しいハーモニーにありました。

デビュー曲「或る日突然」をはじめ、「空よ」「誰もいない海」「愛の泉」など、1960年代末から1970年代初頭にかけてヒット曲を送り出しています。

1973年に一度解散しましたが、1997年のNHK番組への出演をきっかけに活動を再開しました。

楽曲の基本情報

トワエモワ虹と雪のバラード
【資料】トワ エ モワ 虹 と 雪 の 報道・メディア記録
項目内容
曲名虹と雪のバラード
歌唱トワ・エ・モワ
発売日1971年8月25日
作詞河邨文一郎
作曲村井邦彦
編曲小谷充
制作の背景1972年札幌オリンピック
レコード会社東芝音楽工業
NHK紅白第22回・1971年
NHK番組みんなのうた

【誕生秘話】河邨文一郎と村井邦彦はどのように名曲を生み出したのか

「虹と雪のバラード」の誕生には、NHKの企画担当者、作詞家、作曲家それぞれの思いが関係しています。

特に興味深いのは、作詞を担当した河邨文一郎が、単にオリンピックを盛り上げる歌ではなく、開催後も長く歌い継がれる作品を求められていたことです。

作詞家・河邨文一郎に託された難しい注文

河邨文一郎は北海道小樽市出身の詩人で、整形外科医としても活動した人物です。札幌医科大学教授を務め、医学と文学の両方に関わっていました。

NHKが作詞を依頼した際、伝えられた条件は大きく分けて3つありました。

1. オリンピックが終わった後も長く歌い継がれること。
2. 札幌で暮らす人々の心情が表現されていること。
3. 式典用の重々しい曲ではなく、誰もが口ずさめ、大人数でも合唱できること。

これらは一見すると自然な注文ですが、実際に歌詞に落とし込むのは簡単ではありません。

河邨は何度も推敲を重ね、約2週間にわたって作詞に苦労したと伝えられています。

スポーツの勝利だけを称える歌ではなく、街そのものとそこに暮らす人々の思いを表現しなければならなかったからです。

作曲家・村井邦彦が約4時間で完成させたメロディー

作曲を担当したのは、音楽プロデューサーとしても知られる村井邦彦です。

村井は「或る日突然」や「翼をください」など、後世に残る作品を手がけた作曲家として知られています。

JFNの音楽番組「Flip The Records」で紹介された制作エピソードによると、村井は札幌のNHKに呼ばれ、スタジオで作曲に取り組みました。

河邨の書いた歌詞に目を通したところ、サビのメロディーがすぐに浮かんだといいます。

そして、曲は約4時間で完成。村井は多忙だったこともあり、作詞家の河邨と直接会うことなく札幌を後にしたと伝えられています。

興味深いのは、作詞と作曲が必ずしも対面での共同作業によって完成したわけではない点です。

河邨が札幌の風景や人々の思いを言葉にし、村井がその言葉から音楽的なイメージを膨らませる。それぞれの専門性が離れた場所で結びつき、一つの作品になりました。

トワ・エ・モワが初めて歌詞を読んだときの印象

白鳥英美子は、河邨の歌詞について、札幌に住む人でなければ表現できないような深い言葉遣いを感じたと振り返っています。

また、それまでのトワ・エ・モワの作品とは異なる行進曲風の曲調だったため、歌い慣れるまで何度も練習したというエピソードも紹介されています。

この曲は、二人が得意としていた柔らかな男女のハーモニーに、オリンピックという大舞台にふさわしい力強さを加えた作品でした。

【歌詞の意味を解説】虹・雪・街に込められた札幌の未来への願い

「虹と雪のバラード」を理解するうえで重要なのは、歌詞の中心にあるのが選手個人の活躍ではなく、札幌という街と人々の姿だという点です。

この作品には、冬の自然、街の変化、人々の結びつき、そして未来への期待が描かれています。

1. 虹が象徴するものは希望と新しい出発

タイトルにある「虹」は、明るい未来や希望を連想させます。

虹は雨上がりの空に現れる自然現象ですが、この楽曲では単なる美しい風景の描写にとどまりません。

人々が新しい時代へ向かって歩き出す姿や、札幌が国際的な都市へと成長していく期待を重ねて受け取ることができます。

2. 雪は札幌という街の個性そのもの

雪は札幌を象徴する自然環境です。

冬季オリンピックを開催する街にとって、雪は競技の舞台であると同時に、日常生活を形づくる重要な存在でもあります。

この曲は雪を単なる寒さや厳しさとして描くのではなく、街の魅力や人々のエネルギーと結びつけています。

そのため、札幌以外の人が聴いても、北国の風景を思い浮かべられるような広がりがあります。

3. 人々が手を取り合う姿は大会の理念を表現している

歌詞では、人々が近づき、手を取り合う情景が描かれています。

ここで注目したいのは、オリンピックの主役を選手だけに限定していないことです。

大会を支える市民、訪れる人々、街をつくる人々もまた、同じ夢に向かう存在として表現されています。

スポーツの競技結果を超えて、人と人とのつながりを歌っている点が、この曲の大きな特徴です。

4. 「生まれかわるサッポロ」という視点

もう一つ見逃せないのが、札幌という街の変化です。

1972年の大会に向けて、札幌では競技施設だけでなく、地下鉄などの都市基盤も整備されました。

笹川スポーツ財団の大会史解説でも、札幌オリンピックを契機として競技施設や地下鉄などの都市整備が進み、街が大きく発展したことが紹介されています。

つまり、この曲に登場する新しい街のイメージは、実際の札幌の変化とも重なっていたのです。

歌詞の本質は、オリンピックの成功だけではなく、大会を通して生まれ変わろうとする街と人々の希望にあります。

これが、開催から半世紀以上が経過した現在でも楽曲が色あせない理由の一つです。

【競作と紅白】複数歌手が歌った名曲がトワ・エ・モワの代表作になるまで

「虹と雪のバラード」には、意外と知られていない特徴があります。

それは、複数の歌手が同じ曲をそれぞれのレコードとして発表する競作だったことです。

トワ・エ・モワだけが歌った曲ではなかった

当時のNHKによる企画では、幅広い歌手が参加しました。

音楽番組などで紹介されている競作歌手には、次のような名前があります。

- トワ・エ・モワ
- ピンキーとキラーズ
- ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
- 黛ジュン
- 菅原洋一
- 佐良直美
- スクールメイツ

それぞれの歌手やグループが同じ楽曲に取り組み、異なる歌唱によって作品を広めました。

その中でも、トワ・エ・モワ版が特に広く知られるようになりました。

男女二人のハーモニーと、力強さを持ったメロディーが、楽曲の持つ希望や一体感を表現するうえで効果的だったと考えられます。

1971年8月25日に発売、オリコン最高7位を記録

トワ・エ・モワ版のシングル発売日は1971年8月25日です。

オリコンの公式アーティストランキングによると、この曲は最高7位を記録し、週間ランキングへの登場回数は28週に及びました。

発売直後だけでなく、札幌オリンピックが近づくにつれて認知度を高めていったことが分かります。

第22回NHK紅白歌合戦でも披露

1971年12月31日に放送された第22回NHK紅白歌合戦では、トワ・エ・モワが「虹と雪のバラード」を歌唱しました。

この年の紅白は、1972年2月の札幌オリンピック開催を目前に控えた時期の放送です。

大会の開幕前から全国的に楽曲が知られていたことを示す象徴的な出来事でした。

NHKの1971年紅白の出場者・歌唱曲を紹介したMANTANWEBの記事でも、トワ・エ・モワの歌唱曲として本作が掲載されています。

年代別に見る「虹と雪のバラード」と関係者の歩み

年代・時期出来事関係者・意味
1969年トワ・エ・モワ結成・デビュー白鳥英美子、芥川澄夫
1971年2〜3月NHK「みんなのうた」で初回放送トワ・エ・モワ歌唱
1971年8月25日シングル発売作詞・河邨文一郎、作曲・村井邦彦
1971年12月31日第22回NHK紅白歌合戦トワ・エ・モワが歌唱
1972年2月札幌オリンピック開催楽曲が大会を象徴する歌に
1973年デュオ解散それぞれの音楽活動へ
1997年NHK「思い出のメロディー」に出演活動再開のきっかけ
1998年1998年バージョン発売再結成後の活動
2019年札幌市営地下鉄の駅メロ導入地域の文化資産として活用
2026年コンサート活動を継続現在のトワ・エ・モワ

NHK「みんなのうた」にも登場していた

もう一つ重要なのが、NHKの「みんなのうた」との関係です。

NHKの楽曲情報に掲載されている初回放送は1971年2月〜3月です。

つまり、トワ・エ・モワ版のシングルが発売された1971年8月25日よりも前に、テレビを通して楽曲が紹介されていたことになります。

オリンピック開催の約1年前から、放送を通じて人々の耳に届いていたのです。

この放送、レコード発売、紅白歌合戦という流れが、楽曲の認知度を高めるうえで大きな役割を果たしました。

【売上60万枚の真相】なぜトワ・エ・モワ版が最大のヒットになったのか

「虹と雪のバラード」の売上については、累計60万枚という数字が紹介されることがあります。

ニッポン放送の過去の番組記事でも、トワ・エ・モワ版が60万枚の大ヒットを記録したと紹介されています。

一方、オリコンの公式公開情報では、トワ・エ・モワ版の最高順位は7位、登場回数は28週と記録されていますが、同ページに60万枚という累積売上の数値は掲載されていません。

そのため、60万枚は当時のヒットを紹介する資料で使われている数字として理解し、オリコンの公開記録と同一の集計値であるかのように扱わないことが大切です。

トワ・エ・モワ版が支持された理由

大きく3つの要素が考えられます。

1. 男女デュオならではのハーモニー

トワ・エ・モワの魅力は、白鳥英美子と芥川澄夫の声が重なり合うことです。

一人の歌手による独唱とは異なり、二人の歌声が交差することで、歌詞にある人々の一体感を表現しやすくなっています。

2. オリンピックの映像や報道との相乗効果

大会開催に近づくにつれて、楽曲を耳にする機会が増えました。

スポーツ大会と音楽が結びつくことで、曲そのものが大会の記憶を残す役割を果たしたのです。

3. 大会後にも歌える普遍性

勝敗や特定の選手に依存しない歌詞だったことも大きな特徴です。

開催期間が終わっても、街の未来や人々の希望を歌う作品として成立していました。

トワ・エ・モワの歴代人気曲も比較

オリコンの公開ランキングを基にすると、トワ・エ・モワには「虹と雪のバラード」以外にも複数のヒット曲があります。

楽曲発売日オリコン最高順位
或る日突然1969年5月14日4位
虹と雪のバラード1971年8月25日7位
空よ1970年3月25日13位
誰もいない海1970年11月5日16位
愛の泉1971年6月5日20位

このデータからも、「虹と雪のバラード」がデュオの代表的なヒット作品であることが分かります。

ただし、オリコンの最高順位だけで楽曲の文化的な影響力を測ることはできません。

「或る日突然」はデビューを印象づけた作品であり、「空よ」や「誰もいない海」はトワ・エ・モワの音楽性を広く知らしめました。

それに対し、「虹と雪のバラード」は一つの街と歴史的な大会を象徴する楽曲として、独自の位置を占めています。

【2026年最新】トワ・エ・モワの現在と「虹と雪のバラード」が歌い継がれる理由

2026年現在、トワ・エ・モワは過去の名曲を残しただけのデュオではありません。

白鳥英美子と芥川澄夫は、再結成後も二人で音楽活動を続けています。

1997年の再結成が大きな転換点

トワ・エ・モワは1973年に解散しました。

その後、白鳥英美子はソロ歌手として活動し、芥川澄夫は音楽プロデューサーとしての道を歩みました。

転機となったのは1997年8月のNHK「思い出のメロディー」への出演です。

二人が再びトワ・エ・モワとして「虹と雪のバラード」を歌ったことが、活動再開につながりました。

翌1998年には「虹と雪のバラード '98ヴァージョン」を発売。コンサート活動も再開し、全国で歌声を届けるようになりました。

2026年もコンサート活動を継続

白鳥英美子の公式サイトには、2026年のトワ・エ・モワの出演情報が掲載されています。

例えば、次のような活動が確認できます。

- 2026年5月8日:市川市文化会館でコンサート出演。
- 2026年6月2日:昭和女子大学人見記念講堂でコンサート出演。
- 2026年6月14日:須坂文化会館メセナホールで「フォーエバーヤング2026」に出演。
- 2026年10月3日:白鳥英美子のソロコンサートに芥川澄夫がゲスト出演。
- 2026年11月28日:千葉いのちの電話チャリティーコンサートにトワ・エ・モワとして出演予定。

特に11月28日の公演では、公式サイトに演奏予定曲目として「ある日突然」「誰もいない海」「初恋の人に似ている」「虹と雪のバラード」などが掲載されています。



2026年11月28日の公演情報
開催予定

いのちの電話 トワエモワ コンサート2026
- 公演:第34回 千葉いのちの電話チャリティーコンサート
- 日程:2026年11月28日
- 出演:トワ・エ・モワ
- 演奏予定曲:「虹と雪のバラード」など
白鳥英美子公式サイト掲載情報。公演の詳細は主催者の最新案内をご確認ください。

札幌市でも地域の文化資産として活用

「虹と雪のバラード」は、歌謡曲の枠を超えて札幌の文化的な財産となっています。

札幌市は2019年、市営地下鉄の接近放送メロディーとして、この曲をアレンジした音源を導入しました。

導入対象は全49駅のうち26駅。札幌オリンピックを知る世代にとって親しみのある曲を活用し、札幌がオリンピックの街であることを伝える取り組みでした。

札幌市の公式資料でも、この楽曲は今なお人気のある札幌の資産として位置づけられています。

大倉山ジャンプ競技場には、2005年に建立された「虹と雪のバラード」の詩碑もあります。

歌詞を刻んだ記念碑が設置されていることも、この曲が札幌の歴史と深く結びついている証拠です。

【プロの結論】この曲が半世紀以上も愛される本当の理由

音楽作品として「虹と雪のバラード」を評価するとき、単にオリンピックのテーマソングだったという説明だけでは足りません。

長く歌い継がれてきた理由は、次の3点に整理できます。

第一に、特定の大会だけに意味を限定しなかったこと。

オリンピックは開催期間が限られています。しかし、街をよくしたい、人々と希望を共有したいという思いには期限がありません。

第二に、合唱できる音楽として設計されていたこと。

NHKが制作段階で重視したのは、何千人もの人々が一緒に歌える作品であることでした。楽曲そのものに、集団で歌い継ぐための役割が与えられていたのです。

第三に、札幌の実際の歴史と結びついたこと。

1972年の大会は札幌の都市整備や国際的な認知度の向上に大きな影響を与えました。曲が歌われるたびに、その時代の街の姿や人々の記憶が呼び起こされます。

この3つが重なったからこそ、「虹と雪のバラード」は単なる懐メロではなく、世代を超えて共有できる文化的な作品になったのです。

【よくある質問】トワエモワの「虹と雪のバラード」に関するFAQ

Q1:虹と雪のバラードの発売日はいつですか?

A1:トワ・エ・モワ版のシングル発売日は1971年8月25日です。1972年札幌オリンピックの開催に先立って発売されました。

Q2:虹と雪のバラードの作詞・作曲は誰ですか?

A2:作詞は河邨文一郎、作曲は村井邦彦です。編曲は小谷充が担当しました。

Q3:虹と雪のバラードはトワ・エ・モワだけが歌ったのですか?

A3:いいえ。ピンキーとキラーズ、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、黛ジュン、菅原洋一、佐良直美など、複数の歌手による競作でした。その中でもトワ・エ・モワ版が代表的なヒットとなりました。

Q4:虹と雪のバラードの売上は60万枚ですか?

A4:ニッポン放送の過去の番組記事などでは60万枚と紹介されています。一方、オリコンの公開データでは最高7位、28週のランクインが確認できます。累積売上の集計方法には資料による違いがあるため、60万枚は紹介資料に基づく数字として捉えるのが適切です。

Q5:第22回NHK紅白歌合戦では何を歌いましたか?

A5:1971年12月31日に放送された第22回NHK紅白歌合戦で、トワ・エ・モワは「虹と雪のバラード」を披露しました。

Q6:NHK「みんなのうた」でも放送されていたのですか?

A6:はい。NHKの楽曲情報によると、初回放送は1971年2月〜3月です。シングル発売よりも前にテレビで紹介されていました。

Q7:トワ・エ・モワは2026年現在も活動していますか?

A7:はい。白鳥英美子と芥川澄夫は現在も活動しています。白鳥英美子の公式サイトには2026年のコンサート出演情報が掲載されており、11月28日にはトワ・エ・モワとしての公演も予定されています。

Q8:トワ・エ・モワの代表曲には何がありますか?

A8:「或る日突然」「空よ」「誰もいない海」「愛の泉」「虹と雪のバラード」などがあります。オリコンの記録では「或る日突然」が最高4位、「虹と雪のバラード」が最高7位です。

まとめ:「虹と雪のバラード」は札幌の歴史と人々の希望を伝える名曲

トワ・エ・モワの「虹と雪のバラード」は、1972年札幌オリンピックに向けてNHKが企画した楽曲です。

作詞の河邨文一郎は、札幌の人々の心情や未来への希望を言葉にし、作曲の村井邦彦は、その歌詞から約4時間でメロディーを完成させたと伝えられています。

1971年8月25日のシングル発売後、複数歌手による競作の中でトワ・エ・モワ版が代表的なヒットとなり、第22回NHK紅白歌合戦でも披露されました。

そして2026年現在も、白鳥英美子と芥川澄夫はコンサート活動を続けています。

この曲が長く愛されている理由は、オリンピックという歴史的なイベントを記念するだけの歌ではないからです。

街をつくる人々、未来を信じる人々、そして同じ歌を一緒に歌う人々。その姿を描いた作品だからこそ、時代が変わっても新しい世代に受け継がれていきます。

札幌の歴史を知るために聴く人にも、昭和の名曲として楽しみたい人にも、「虹と雪のバラード」はぜひ歌詞とともに味わってほしい一曲です。 (出典: トワ エ モワ 虹 と 雪 の バラード(Yahoo!ニュース))