【2026年最新】持丸修一監督は78歳!センバツ最年長勝利と現在の活動
持丸修一監督は、2026年10月現在も専大松戸高校野球部の監督を務めています。1948年4月17日生まれで、2026年の誕生日に78歳となりました。
注目されたのは、2026年3月21日に行われた第98回選抜高校野球大会の1回戦です。専大松戸は北海道の北照と対戦し、4対0で勝利。持丸監督は77歳11カ月4日で勝利監督となり、センバツにおける監督最年長勝利記録を更新しました。
この記録には、少し注意したい点があります。持丸監督が更新したのは、あくまで選抜大会における最年長勝利記録です。甲子園の春夏を通じた最年長勝利記録は、2023年夏に大垣日大の阪口慶三監督が79歳3カ月4日で達成しています。
つまり、持丸監督は2026年春のセンバツで大会史上最年長の勝利監督となった一方、甲子園全体の最年長勝利記録保持者ではありません。この違いを理解しておくと、記録の意味を正確に捉えられます。
また、持丸監督は年齢を重ねても現場での指導を続けています。2026年3月の報道によれば、茨城県取手市の自宅から千葉県松戸市のグラウンドまで、車で往復約2時間をかけて通勤しているとのことです。
フルカウントの取材では、指導を続ける理由について、子どもたちの気力や楽しさに引っ張られてグラウンドに行くことが楽しいと語っています。引退についても、野球を楽しいと思えなくなったら辞めるべきだという考えを示しました。
「子どもたちの気力、楽しさに釣られて、グラウンドに行くのが楽しいです」
長年の指導歴だけでなく、今も選手から刺激を受けながら現場に立つ姿勢が、持丸監督の現在を象徴しています。
【経歴・年表】龍ケ崎一から藤代、常総学院、専大松戸へ
持丸修一監督の経歴を語るうえで欠かせないのが、茨城県と千葉県の複数の高校で積み重ねてきた指導実績です。
持丸監督は茨城県藤代町(現在の取手市)出身。自身も高校球児として甲子園を経験し、大学卒業後は教員として働きながら高校野球の指導者として歩み始めました。
龍ケ崎一高校で選手・指導者としての原点を築く
持丸監督の母校は、茨城県立竜ケ崎第一高校(龍ケ崎一)です。
高校時代は内野手としてプレーし、3年生だった1966年春の第48回選抜高校野球大会に出場。二塁手として甲子園の土を踏み、1回戦の興南戦では2安打を記録しました。
その後、國學院大學へ進学。大学4年時から母校の野球部でコーチを務め、卒業後は日本史の教員として勤務しました。
27歳で母校の監督に就任すると、選手として立った甲子園を、今度は指導者として目指す立場になります。1990年夏にはチームを甲子園出場へ導き、翌1991年夏にも連続出場を果たしました。
1991年の大会では、松井秀喜選手を擁する星稜高校と対戦。強豪校との真剣勝負を経験したことも、その後の指導者人生につながる重要な出来事です。
藤代高校でセンバツ初出場を実現
1996年、持丸監督は茨城県立藤代高校へ転任します。
藤代高校では、選手たちを着実に育て、2001年に春のセンバツ初出場を実現。2003年にもセンバツ出場を果たしました。
藤代時代の代表的な育成実績として知られるのが、後にプロ野球で活躍する美馬学投手です。高校野球での指導経験を通じ、選手の能力を伸ばして次のステージへ送り出す手腕を示しました。
常総学院で木内幸男監督の後任に
2003年9月には、茨城県の強豪・常総学院高校の監督に就任します。
前任者は、甲子園優勝経験を持つ名将・木内幸男氏でした。木内氏の後任という重責を担ったことからも、当時の持丸監督に対する評価がうかがえます。
ただし、常総学院時代の甲子園では3度出場したものの、いずれも初戦敗退でした。名門校を率いた経験がすべて好成績につながったわけではありません。
2007年末から専大松戸の監督へ
2007年12月1日、持丸監督は専大松戸高校の野球部監督に就任しました。2008年から現職として指揮を執ってきたと報じられています。
専修大学の公式広報誌でも、常総学院を退任した持丸氏が2007年12月1日付で専大松戸の監督に就任したことが紹介されています。
当時の専大松戸は甲子園未出場。持丸監督は、茨城県で培った経験を千葉県の高校野球に持ち込み、チームづくりを進めました。
持丸修一監督の経歴年表
この経歴で注目したいのは、複数の高校で甲子園初出場を実現してきたことです。龍ケ崎一、藤代、専大松戸では、それぞれ新しいチームの土台をつくり、全国大会への道を開きました。
【甲子園成績】専大松戸は2026年に初のベスト4!春夏の躍進を振り返る
専大松戸高校野球部は、持丸監督の就任後、千葉県を代表する強豪校へと成長しました。
2015年夏に学校史上初の甲子園出場を実現。その後も出場を重ね、2023年春には初のベスト8、2026年春には初のベスト4に到達しています。
2026年センバツの全試合結果
第98回選抜高校野球大会で、専大松戸は3年ぶり3回目の出場を果たしました。
初戦の北照戦では、エース門倉昂大投手が4安打完封。打線も4回に集中攻撃を見せ、4対0で勝利しました。
2回戦では九州国際大付に8対3で勝利。準々決勝では山梨学院との接戦を2対1で制し、初めてのセンバツベスト4進出を決めました。
準決勝の相手は大阪桐蔭。専大松戸は2度追いつく粘りを見せたものの、最後は2対3で惜敗しました。
千葉県高等学校野球連盟の大会記録でも、専大松戸のベスト4進出が確認できます。2023年春のベスト8を上回る、学校史上最高の成績となりました。
2026年夏は千葉大会準優勝
春のベスト4を受け、専大松戸には夏の甲子園出場への期待も高まりました。
2026年夏の千葉大会では、四街道、君津、流山、千葉商大付属、市立船橋、志学館を破って決勝へ進出。準決勝では志学館に7対0で勝利するなど、安定した戦いを見せました。
しかし、7月26日の決勝では拓大紅陵に1対3で敗戦。準優勝となり、夏の甲子園出場は逃しました。
春のセンバツで全国4強に入ったチームが、夏の県大会でも決勝まで進んだことは、専大松戸の選手層と競争力を示す結果でした。
2026年秋の最新状況は?
2026年10月30日現在のチーム状況も押さえておきたいところです。
専大松戸は秋季千葉県大会で優勝し、関東大会へ進出しました。しかし、10月18日の秋季関東大会1回戦では帝京第三に5対13で敗れ、8回コールドで初戦敗退となっています。
7回裏には常田幸泰選手の3ランなどで5点を返したものの、序盤からの失点を取り戻せませんでした。
この敗戦により、2027年春のセンバツ出場は厳しい状況になったと報じられています。春の全国4強から夏の県大会準優勝、秋の県大会優勝という実績がある一方、関東大会では課題も残しました。
強豪校であっても、世代交代によってチームの状態は変わります。2026年の専大松戸を評価する際は、春の実績だけでなく、秋の結果まで見る必要があります。
【指導法の秘密】持丸修一監督が選手主体の野球を重視する理由
持丸監督の指導法を理解するうえで重要なのが、選手に一方的な指示を与えないという考え方です。
松戸市が2026年5月15日に公開した監督インタビューでは、持丸監督が目指すチーム像として、前向きさと主体性を持った楽しいチームが挙げられています。
監督と選手は何でも話せる関係
持丸監督は、選手との関係について、野球のことなら何でも話せる友達のような関係でいたいと説明しています。
監督やコーチがすべてを決めるのではなく、選手から「こうしたら面白いのではないか」という発想が出てくることを大切にしています。
これは、単に選手の意見を聞くという話ではありません。自分たちで考え、判断し、実際のプレーに反映させる経験を積ませることに意味があります。
「なぜ失敗したのか」を一緒に考える
練習で重視しているのは、プレーの結果だけでなく、その理由を考えることです。
ミスが起きたときには、なぜ失敗したのかを確認する。成功したときにも、どうしてうまくいったのかを考える。こうした振り返りを選手と一緒に行います。
この方法には、選手が自分のプレーを言葉で説明する力を養えるという利点があります。試合中に監督から細かな指示が出せない場面でも、選手自身が状況を判断しやすくなるからです。
2026年センバツで見えた主体性と徹底力
選手主体の指導は、2026年センバツの北照戦にも表れていました。
序盤は相手投手を攻略できなかった専大松戸でしたが、持丸監督はバットを短く持つ作戦を提案。選手たちはその意図を理解し、実際の打席で対応しました。
4回には集中打で4点を奪い、試合の主導権を握ります。
日刊スポーツの報道によれば、選手たちはバットを指2〜3本分短く持つなど、指示を徹底して実行しました。
監督が作戦を考えることと、選手が主体的にプレーすることは矛盾しません。大切なのは、選手が作戦の目的を理解し、自分の判断として実行できるかどうかです。
勝利だけを指導のゴールにしない
松戸市のインタビューで、持丸監督は次のような考えも示しています。
「勝つことも大切だけど、それだけが全てじゃない。野球で過ごした時間が、どれだけ自分のためになったかを考えてほしい」
高校野球は、プロ選手になれる人だけが参加するものではありません。卒業後に野球を続ける人も、別の道へ進む人もいます。
持丸監督の指導には、甲子園で勝つための技術指導と、卒業後にも生きる判断力や人間的な成長を促す教育の両面があります。
【育成実績】上沢直之や美馬学を輩出した投手育成力
持丸監督が名将と評価される理由の一つに、プロ野球選手を育ててきた実績があります。
特に知られているのが、専大松戸出身の上沢直之投手です。藤代高校時代には美馬学投手、専大松戸では上沢投手のほか、高橋礼投手や横山陸人投手らをプロの世界へ送り出しています。
上沢直之の才能を伸ばした基礎指導
上沢投手の高校時代については、高校野球ドットコムの2016年のインタビュー記事で、持丸監督自身が指導の詳細を語っています。
持丸監督が最初に注目したのは、投手としての球速や変化球ではなく、走り方でした。
当時の上沢投手には投手としての素質があったものの、走り方がぎこちなく、野球選手としての基礎が十分ではなかったといいます。そこで、地面を軽く走るようなスムーズな動きを身につけるよう指導しました。
さらに、投手としての能力を伸ばすために重視したのがストレートです。
変化球を増やして試合をまとめる方法もありましたが、持丸監督は上沢投手にストレートを磨かせる方針を貫きました。
短期的な勝利だけを考えれば、必ずしも最善とは限らない選択です。しかし、将来さらに高いレベルで活躍するための基礎を身につけさせることを優先しました。
この指導方針について、持丸監督は甲子園出場だけが指導の目的ではなく、次のステージで活躍できる技術と強いメンタルを身につけることが役割だと説明しています。
なお、上沢投手は高校時代に甲子園へ出場していません。甲子園出場実績とプロ育成実績は別の評価軸です。この点は、持丸監督の指導を考えるうえで興味深い部分です。
持丸監督が育てた主なプロ野球選手
こうした実績から、持丸監督は投手育成に定評のある指導者として紹介されています。
ただし、プロ選手を育てることだけが指導力のすべてではありません。甲子園に届かなかった選手にも、次のステージで通用する技術を身につけさせるという考え方に、持丸監督の育成哲学が表れています。
【名将と呼ばれる理由】持丸修一監督の評判と本当の指導力
持丸監督が名将と呼ばれる理由は、単純に甲子園の勝利数が多いからではありません。
複数の高校を甲子園へ導いた実績、プロ選手の育成、選手の主体性を尊重する指導、そして長期間にわたって現場で指導を続ける姿勢が重なっています。
1. 新しいチームを甲子園へ導く再現性
龍ケ崎一、藤代、専大松戸の3校を甲子園初出場へ導いたことは、持丸監督の大きな特徴です。
すでに全国優勝を経験している強豪校で結果を残すことと、甲子園未出場の高校を全国大会へ導くことは、求められる能力が異なります。
後者では、選手の発掘や育成、練習環境の整備、チームの方向性づくりなど、土台から組織を構築する力が必要です。
持丸監督は異なる学校でその経験を積み重ねてきました。
2. 強豪校でも失敗を隠さない指導
常総学院時代には甲子園に3度出場したものの、いずれも初戦敗退でした。
この結果だけを見ると、常総学院での監督実績は成功とは言い切れません。しかし、指導者としての評価は、勝利した試合だけで決まるものではありません。
その後の専大松戸では、2015年の初出場から2023年のベスト8、2026年のベスト4へと着実に成績を伸ばしています。
長期的にチームを育て、学校の野球部に全国で戦える基盤をつくった点は高く評価できます。
3. 選手の自主性とチームの規律を両立
自由に考えさせる指導は、選手に任せきりにすることとは違います。
持丸監督の指導では、選手の発想を尊重しながら、作戦の意図を理解させ、必要な場面では徹底して実行させる姿勢が見られます。
2026年センバツの北照戦で見せたバットを短く持つ作戦は、その好例です。
選手の自主性と、チームとしての規律。この2つを両立させることが、接戦での対応力につながっています。
4. 78歳でも現場を楽しむ姿勢
2026年のセンバツで最年長勝利記録を更新した後も、持丸監督は全国制覇への思いを失っていません。
フルカウントの取材では、大阪桐蔭との準決勝で敗れたことについて、経験の差を感じたと振り返り、選手たちには何度もこうした舞台を経験してほしいという趣旨の話をしています。
年齢を理由に現場から距離を置くのではなく、選手とともに次の目標を追いかける姿勢が印象的です。
持丸修一監督について広がりやすい3つの誤解
こうした違いを整理すると、持丸監督の実績がより正確に理解できます。
名将という評価は、記録だけでなく、どのような環境で選手を育て、どのような野球を積み上げてきたかによって判断する必要があります。
【プロの結論】持丸修一監督の指導から学べる高校野球の本質
持丸監督のキャリアを振り返ると、特徴的なのは「勝利」と「育成」を切り離していないことです。
甲子園出場を目指す以上、勝つための作戦や技術は必要です。しかし、選手に指示を与え続けるだけでは、自分で考えて判断できる選手は育ちにくくなります。
持丸監督が大切にするのは、選手の考えを引き出し、その考えを実際のプレーにつなげることです。
上沢投手へのストレートの指導にも、同じ考え方が表れています。目先の勝利よりも、将来の成長につながる基礎を優先する。これは高校野球の指導者にとっても、教育という観点から参考になる姿勢です。
一方、2026年秋の関東大会では、投手陣が崩れて初戦敗退という結果になりました。春の成功をそのまま次の世代へ引き継ぐことは簡単ではありません。
2026年秋の県大会優勝と関東大会初戦敗退は、チームの成長と課題が同時に存在することを示しています。持丸監督がこれからどのように選手を立て直し、次のチームをつくっていくのかが注目されます。
専大松戸の強さを判断するなら、甲子園の結果だけでなく、守備の安定性、投手の育成、選手自身が試合中に判断できているかという点にも目を向けたいところです。
持丸監督の指導者としての価値は、78歳で記録を更新したことだけにあるのではありません。長年にわたって選手と向き合い、異なる高校でチームを育て、次の世代へ野球の技術と考え方を伝え続けていることにあります。
【専大松戸野球部の監督】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:2026年現在、専大松戸野球部の監督は誰ですか?
A1:持丸修一監督です。2007年12月に監督へ就任し、2026年10月現在も指揮を執っています。
Q2:持丸修一監督は2026年現在何歳ですか?
A2:1948年4月17日生まれの78歳です。2026年3月21日のセンバツ初戦で勝利した時点では77歳11カ月4日でした。
Q3:持丸修一監督の最年長勝利記録とは何ですか?
A3:2026年3月21日の北照戦で達成した、選抜高校野球大会における監督最年長勝利記録です。甲子園の春夏通算の最年長勝利記録とは異なります。
Q4:専大松戸は2026年センバツで何位でしたか?
A4:ベスト4です。北照、九州国際大付、山梨学院に勝利し、準決勝で大阪桐蔭に2対3で敗れました。
Q5:持丸修一監督は以前どこの高校で監督をしていましたか?
A5:龍ケ崎一、藤代、常総学院で監督を務めました。その後、2007年12月に専大松戸へ就任しています。
Q6:上沢直之投手は持丸監督の教え子ですか?
A6:はい。上沢投手は専大松戸時代に持丸監督の指導を受けました。走り方の改善やストレートを磨く指導を受けましたが、高校時代に甲子園出場はしていません。
Q7:持丸修一監督の指導法の特徴は何ですか?
A7:選手の主体性を尊重し、プレーの成功や失敗について「なぜそうなったのか」を一緒に考える指導です。選手が自ら判断して行動できるチームづくりを重視しています。
Q8:専大松戸は2026年夏の甲子園に出場しましたか?
A8:出場していません。2026年夏の千葉大会では決勝まで進みましたが、拓大紅陵に1対3で敗れて準優勝となりました。
まとめ:78歳の名将・持丸修一が目指す次の甲子園
専大松戸野球部監督の持丸修一氏は、龍ケ崎一、藤代、常総学院を経て、2007年末から専大松戸を率いてきた高校野球界のベテラン指導者です。
2026年春には、77歳11カ月でセンバツ史上最年長の監督勝利を達成。専大松戸を春夏通じて初のベスト4へ導きました。
さらに、夏の千葉大会では準優勝、秋の千葉大会では優勝を果たしています。一方、秋季関東大会では初戦敗退となり、次の春に向けて新たな課題も浮かび上がりました。
上沢直之や美馬学らの育成実績、選手主体の指導、そして年齢を重ねてもグラウンドに立ち続ける情熱。これらが持丸監督を名将と呼ばせる大きな理由です。
2026年10月現在78歳。持丸修一監督の物語は、年齢や過去の記録だけでは語り尽くせません。選手とともに考え、挑戦し、次の目標を目指す。その指導者としての姿勢と、専大松戸が今後どのようなチームへ成長していくのかに、引き続き注目が集まります。 (出典: 専大 松戸 野球 部 監督(Yahoo!ニュース))