樋口了一の現在は?デビューから代表曲、病気と映画主演までの歩みを徹底解説

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樋口了一の現在は?デビューから代表曲、病気と映画主演までの歩みを徹底解説
樋口了一の現在は?デビューから代表曲、病気と映画主演までの歩みを徹底解説
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🎵 樋口了一の現在は?デビューから代表曲、病気と映画主演までの歩みを徹底解説

樋口了一(ひぐち・りょういち)は、1993年にメジャーデビューした熊本県出身のシンガーソングライターです。「1/6の夢旅人2002」が北海道テレビの人気番組『水曜どうでしょう』のテーマソングとして知られる一方、「手紙~親愛なる子供たちへ~」では2009年に日本レコード大賞優秀作品賞と日本有線大賞有線音楽優秀賞を受賞しました。

自身もパーキンソン病と向き合っており、2012年に病気を公表。その後も音楽活動を続け、2023年には映画『いまダンスをするのは誰だ?』で初主演を務めました。2026年現在も熊本を拠点にライブや音楽制作に取り組み、水曜どうでしょう関連イベントへの出演も続いています。

樋口了一の魅力は、人気テレビ番組のテーマソングを手掛けた実績だけではありません。アーティストへの楽曲提供、介護や家族をテーマにした作品、病気と共存するためのステージ表現など、その活動には30年以上にわたる音楽人生が反映されています。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】 - 経歴とデビュー: 1993年7月28日、シングル「いまでも」で東芝EMIからメジャーデビュー。 - 代表曲と受賞歴: 「1/6の夢旅人2002」「手紙~親愛なる子供たちへ~」が代表作。後者は2009年に主要音楽賞を受賞。 - 病気と音楽活動: 2009年にパーキンソン病と診断され、2012年に公表。演奏方法を工夫しながらライブを継続。 - 映画への挑戦: 2023年公開の『いまダンスをするのは誰だ?』で映画初主演。 - 2026年の現在: 熊本日日新聞の連載、エンドレスライスの活動、水曜どうでしょう関連イベントなど、音楽活動を継続。

【プロフィール】樋口了一はどんな歌手?1993年のデビューから現在までの経歴

樋口了一
【画像】樋口 了 一 関連ショット

樋口了一は、熊本県熊本市出身のシンガーソングライターです。自ら歌うアーティストであると同時に、他の歌手への楽曲提供も手掛ける作曲家・作詞家としての顔を持っています。

1964年2月2日生まれで、2026年10月現在は62歳。熊本県立済々黌高等学校を卒業後、立教大学経済学部に進学しました。大学在学中からバンド活動に打ち込み、ブラックミュージックを取り入れた音楽性を育てています。

音楽との出会いとデビューまでの道のり

樋口了一
【写真】樋口 了 一 近影・注目カット

音楽に親しむきっかけとなったのは、幼少期に隣家の中学生から教わったビートルズ、シカゴ、レッド・ツェッペリンなどの音楽でした。

1979年には景品でもらったギターでバンドを結成し、ボーカルとして初めて人前で歌います。1983年に立教大学へ入学すると、バンド「ロイヤルアイランダーズ」に加入。その後、1986年には大学を中退してブラックミュージックバンド「モジョ」に参加し、都内のライブハウスを中心に活動しました。

1989年には新しいバンド「BAUDS」を結成して渡米。ロサンゼルス、ボストン、ニューヨークを巡り、現地の音楽シーンにも触れています。こうしたバンド経験が、後の幅広いジャンルを横断する作曲スタイルにつながりました。

そして1993年7月28日、東芝EMIからシングル「いまでも」をリリースし、メジャーデビューを果たします。1996年ごろからはアーティスト活動に加えて楽曲提供にも力を入れるようになりました。

樋口了一の経歴・代表作・転換点を年表で整理

樋口了一
【資料】樋口 了 一 報道・メディア記録
時期出来事・作品意味・実績1964年熊本県生まれ熊本を活動の原点とする1983年立教大学入学、バンド活動ブラックミュージックに傾倒1993年「いまでも」でデビュー東芝EMIからメジャーデビュー1997年「1/6の夢旅人」が番組で使用される水曜どうでしょうとの縁が始まる2003年「1/6の夢旅人2002」CD発売アーティスト活動を本格再開2005年「1/6の夢旅人・二度目のありがとう」発売原曲の再録音作品を発表2008年「手紙~親愛なる子供たちへ~」発売代表作として大きな反響2009年主要音楽賞を受賞日本レコード大賞・日本有線大賞2011~2012年熊本を拠点に活動、病気を公表音楽活動と病気への理解促進2011年エンドレスライス結成村上ゆきとのユニット活動2023年映画『いまダンスをするのは誰だ?』公開映画初主演、デビュー30周年2026年各地のライブ・イベントに出演音楽活動を継続

この年表で注目したいのは、1993年のデビューから一貫して歌手活動だけを続けてきたわけではない点です。楽曲提供を中心とした時期を経て、「1/6の夢旅人2002」で再び自身の歌を届ける活動に力を入れ、「手紙」で新しいリスナー層を獲得しました。

また、2011年以降は熊本を活動の中心に据え、ライブ、地域に関わる楽曲制作、ユニット活動など、活動の幅を広げています。

【水曜どうでしょう】「1/6の夢旅人2002」と「二度目のありがとう」の誕生秘話

樋口了一の名前を聞いて、最初に「1/6の夢旅人2002」を思い浮かべる人は少なくありません。

この曲は北海道テレビ放送(HTB)の人気番組『水曜どうでしょう』のエンディングテーマとして親しまれてきました。番組の旅の映像とともに流れる楽曲として、視聴者の記憶に強く残っています。

「1/6の夢旅人」は1997年に生まれた

もともとの「1/6の夢旅人」は、1997年に『水曜どうでしょう』の応援歌として使用された楽曲です。その後、1999年から始まった再放送版『どうでしょうリターンズ』でもエンディングテーマとして使われました。

ところが、楽曲には思わぬ問題が生じます。1998年に樋口了一がV6へ楽曲を提供した際、「1/6の夢旅人」のメロディーが別の作品に使われたことから、著作権上の問題が発生しました。

結果として、番組のエンディングで従来の楽曲を使用できなくなり、樋口は歌詞をほぼ引き継ぎながら、新しいメロディーで「1/6の夢旅人2002」を制作します。

この新しいバージョンは2003年3月5日にCD化されました。HTBの公式番組日記でも発売決定が告知されており、番組と楽曲の結びつきを象徴する作品となっています。

「二度目のありがとう」は何が違う?

2005年4月8日には「1/6の夢旅人・二度目のありがとう」がリリースされました。

これは「2002」の単純な別バージョンというより、著作権問題の調整を経て、元の「1/6の夢旅人」を再レコーディングした作品として理解すると分かりやすいでしょう。

ENCOUNTの2023年のインタビューでは、樋口本人が当時の著作権問題について振り返っています。愛されていた曲が突然使えなくなったことへの戸惑いと、元の曲を大切にしたいという思いが、新しい楽曲の制作につながった経緯が紹介されています。

興味深いのは、使用できなくなった楽曲を受け止めるために制作した「1/6の夢旅人2002」が、結果として以前の作品を上回るほど広く愛されるようになったことです。

「1/6の夢旅人2002」が長く支持される理由

この曲の魅力は、単に番組のテーマソングとして優れていることだけではありません。

歌詞には、旅の途中で起きる困難、仲間とのつながり、目的地に到着した後も続いていく人生などが描かれています。特に「たどり着いたらそこがスタート」という考え方は、旅を終着点ではなく新しい出発点として捉えるものです。

『水曜どうでしょう』の旅のスタイルとも相性がよく、番組を見ていない人にも伝わる普遍性を備えています。

2026年もHTBの水曜どうでしょう関連イベントに樋口の出演が告知されていることからも、この楽曲と番組の関係が現在まで続いていることが分かります。

【日本レコード大賞】「手紙~親愛なる子供たちへ~」の受賞歴と楽曲提供

「1/6の夢旅人2002」が旅や仲間を象徴する楽曲なら、「手紙~親愛なる子供たちへ~」は家族や人生、年齢を重ねることについて考えさせる作品です。

2008年10月22日にシングルとして発売され、翌2009年には大きな評価を獲得しました。樋口了一の音楽人生における、もう一つの大きな代表作です。

2009年に受賞した2つの音楽賞

「手紙~親愛なる子供たちへ~」は、第51回日本レコード大賞で優秀作品賞を受賞しました。また、第42回日本有線大賞では有線音楽優秀賞を受賞しています。

ここで注意したいのは、受賞した賞の正式名称です。日本レコード大賞の大賞そのものを受賞したわけではなく、正確には優秀作品賞です。日本有線大賞についても、大賞ではなく有線音楽優秀賞に該当します。

受賞年賞正式な受賞区分
2009年第51回日本レコード大賞優秀作品賞
2009年第42回日本有線大賞有線音楽優秀賞

日本作曲家協会が公表する第51回日本レコード大賞の受賞記録にも、歌唱・作曲・作詞に関わる作品として掲載されています。

「手紙」はなぜ多くの人の心に届いたのか

この作品の歌詞のもとになったのは、ブラジルから届いた差出人不明の文章です。友人でもあった角智織からその文章を紹介された樋口は、親から子へ伝えたい思いや、人生のつながりを感じ取り、楽曲として形にしました。

歌詞の中心にあるのは、年老いて身体が思うように動かなくなった親が、子どもに対して伝えたい願いです。

介護や高齢化という具体的な問題を扱いながらも、作品の意味はそれだけにとどまりません。親から子へ、そして次の世代へと受け継がれていく愛情や命のつながりが描かれています。

樋口本人も、婦人公論のインタビューで、この曲が自分自身の病気を歌ったものとして受け止められることへの複雑な思いを語っています。本人にとっては、介護だけをテーマにした作品ではなく、より大きな命のつながりを表現した楽曲だったという背景があります。

そのため、この曲を聴く際には「介護の歌」という一つの分類だけにとらわれず、親子関係や人生そのものを見つめる作品として捉えると、より深い魅力が伝わります。

SMAP・中島美嘉・郷ひろみなどへの楽曲提供

樋口了一は、自身の名義で発表する作品だけでなく、ほかのアーティストに楽曲を提供する作家としても活動してきました。

代表的な提供先には、SMAP、中島美嘉、郷ひろみ、石川さゆり、TOKIO、20th Century、沢田研二、鈴木雅之などが挙げられます。

具体例としては、SMAPの「ラストシーン」「言えばよかった」、郷ひろみの「LIFE」などがあります。

こうした実績から分かるのは、樋口が一つの音楽ジャンルに限定された作家ではないということです。自身の歌では旅や人生を表現し、提供楽曲では歌い手の個性に合わせて作品を組み立てています。

「1/6の夢旅人2002」の作曲者というイメージが強いものの、実際には幅広いアーティストの作品を支えてきたコンポーザーでもあるのです。

【パーキンソン病】病気の経緯とライブ活動の実態

樋口了一の経歴を語るうえで、パーキンソン病との関係は避けて通れません。ただし、彼の音楽人生を病気だけで説明するのも適切ではありません。

病気の診断を受けた後も、歌手としての活動を続け、ライブ、楽曲制作、映画出演など新しい挑戦を重ねてきました。

症状が現れたのは2007年ごろ

樋口が最初に身体の異変を感じたのは、2007年3月ごろです。パソコンのキーボードを打っていると、右肩や右腕に違和感が生じ、思うように動かせなくなりました。

当初は肩こりや四十肩のようなものだと考え、整体や接骨院、整形外科などを受診しました。しかし、症状は改善せず、次第に右足も動かしにくくなっていきます。

十数か所の医療機関を受診した末、最初の異変から約2年後の2009年にパーキンソン病と診断されました。

そして2012年4月30日放送のドキュメンタリー番組への出演を通じて、自身がパーキンソン病であることを公表しています。

つまり、症状の出現は2007年ごろ、診断は2009年、公表は2012年です。この3つの時期を区別すると、病気に関する経緯が正確に理解できます。

パーキンソン病によって音楽活動はどう変わった?

パーキンソン病は、脳内のドパミン神経細胞が減少することで、身体の動きなどに影響が現れる神経の病気です。動作が遅くなる、動き始めにくくなる、ふるえが生じるなど、症状には個人差があります。

樋口の場合、右腕や右足の動かしにくさに加え、ギターの演奏や発声にも影響が現れました。

特に音楽家として大きな問題になったのは、ギターを弾きながら歌うという動作です。2023年のインタビューでは、楽器を演奏しながら歌うことは難しくなった一方、声は持ち直し、ライブ活動を精力的に続けていると語っています。

また、ニッポン放送のインタビューでは、薬の効果が出ている時間を意識しながらステージに立つ様子も紹介されました。1曲ごとに薬の入ったドリンクを口に含み、身体の状態を調整して歌うという工夫です。

こうした話から見えてくるのは、病気によって以前と同じ演奏スタイルを維持することが難しくなっても、歌うことそのものを諦めていない姿勢です。

古澤剛のサポートとライブの工夫

樋口のステージを支えてきた人物の一人が、シンガーソングライターの古澤剛です。

ソロ活動ではサポートギタリストとともにステージに立つ形が採用されてきました。樋口自身が歌唱に集中できるようにすることは、病気と向き合いながらライブを継続するための現実的な工夫でもあります。

古澤剛は単なるバックバンドの一員というだけではなく、樋口と長く音楽をともにしてきた関係者です。2026年の水曜どうでしょう関連イベントでも、両者は出演者として名前を連ねています。

また、2014年の24時間テレビでは、錦戸亮とともにパーキンソン病を患った樋口が弾き語りに挑戦する企画が放送されました。病気によって変化した演奏スタイルと、それでも音楽を続けようとする姿が広く知られるきっかけの一つとなりました。

ポストマンライブとは?「手紙」を直接届ける活動

樋口了一の活動を象徴するもう一つの取り組みが、2009年に始まった「ポストマンライブ」です。

この活動は、「手紙~親愛なる子供たちへ~」をより多くの人に届けたいという思いから始まりました。樋口自身を郵便配達人になぞらえ、依頼や応募のあった場所へ出向き、歌を届けるという趣旨のミニライブです。

介護施設や学校など、通常のコンサート会場とは異なる場所でも歌を届けることに特徴があります。

熊本日日新聞が2026年5月に掲載した連載記事では、ポストマンライブの全盛期には週4~5回の依頼があったことも紹介されています。単なる宣伝活動ではなく、楽曲を必要としている人のもとへ直接届ける活動として定着してきました。

2024年3月には、上天草市立大矢野中学校の統合記念公演でもポストマンライブ形式の公演が実施されています。「手紙」に加え、「1/6の夢旅人2002」なども披露され、学校側の記録には生徒たちの反応も残されています。

病気と向き合うなかで、活動の規模や演奏方法を調整しながらも、歌を届けるという目的は変わっていません。

【エンドレスライス】村上ゆきとのユニット活動と古澤剛との関係

樋口了一の音楽活動を理解するうえで、2011年に結成されたユニット「エンドレスライス」も重要です。

エンドレスライスは、樋口了一とシンガー・ピアニストの村上ゆきによる音楽ユニットです。「幸せのおかわり自由」を合言葉に、自由な音楽性を生かしたライブや作品制作を展開しています。

エンドレスライスでは何をしている?

樋口と村上ゆきは、それぞれの音楽的な個性を生かしながら、オリジナル曲や朗読、音楽を組み合わせた作品を発表しています。

特に特徴的なのは、一般的な歌手とピアニストのユニットという枠に収まらない活動です。音楽に物語や朗読を組み合わせるなど、表現方法を柔軟に変化させています。

エンドレスライスの活動では、樋口がギターを弾きながら歌う場面もあります。ソロライブとは異なる演奏環境を生かした活動であり、パーキンソン病と向き合うなかで音楽表現を広げている点でも興味深い存在です。

古澤剛・村上ゆきとの「タケヒゴフレンチ」

樋口と古澤剛、村上ゆきの3人による音楽活動には「タケヒゴフレンチ」という呼び名もあります。

それぞれの名前から取った愛称を組み合わせたもので、3人の個性を生かしたライブを行っています。

ここで整理しておきたいのは、エンドレスライスとタケヒゴフレンチは同じ編成ではないという点です。

名称メンバー活動の特徴
エンドレスライス樋口了一・村上ゆき歌、ピアノ、ギター、朗読など
タケヒゴフレンチ樋口了一・古澤剛・村上ゆき3人によるライブ活動
樋口了一のソロ樋口了一・サポートメンバー歌唱を中心にしたステージ

2026年5月には、イオンモール筑紫野で「熊本応援感謝ライブ・エンドレスライス」が開催されました。また、村上ゆきの公式ライブ情報には、2026年11月19日に大分市のブリックブロックで開催予定の「樋口了一忘年会ライブ2026」が掲載されています。こちらもタケヒゴフレンチとして参加する予定です。

こうした活動は、樋口が単独でステージに立つことだけを目標にしているのではなく、信頼できる音楽仲間とともに表現を続けていることを示しています。

【映画主演】『いまダンスをするのは誰だ?』で俳優に初挑戦

2023年10月7日に公開された映画『いまダンスをするのは誰だ?』は、樋口了一にとって初めての映画主演作品です。

それまでシンガーソングライターとして活動してきた樋口が、今度は俳優としてパーキンソン病を抱える主人公を演じました。本人も同じ病気と向き合っていることから、作品のテーマと自身の経験が深く重なる挑戦となりました。

映画のあらすじと基本情報

項目内容
作品名いまダンスをするのは誰だ?
公開日2023年10月7日
監督・脚本古新舜
主演樋口了一
主題歌いまダンスをするのは誰だ?
挿入歌光のランナー
音楽樋口了一・村上ゆき
上映時間114分
ジャンルヒューマンドラマ
公開区分G
推薦厚生労働省推薦映画

樋口了一が演じた主人公・馬場功一とは?

主人公の馬場功一は、仕事一筋で家庭を顧みずに生きてきた男性です。

ある日、若年性パーキンソン病と診断されますが、病気を受け入れられず、妻や娘との関係も悪化。職場でも孤立し、人生の大きな壁に直面します。

そんな彼が出会うのが、パーキンソン病の当事者が集まるコミュニティ「PD SMILE」です。仲間との交流を通じて、自分の気持ちを打ち明けられるようになり、ダンスをきっかけに人生や家族との関係を見つめ直していきます。

共演者には杉本彩、塩谷瞬、IZAM、渋谷哲平、新井康弘らが名を連ねています。

作品の重要な点は、病気を単なる悲劇として描いていないことです。診断後の生活、仕事への影響、人間関係の変化、周囲の理解など、当事者が直面する現実をドラマとして描いています。

主題歌も樋口了一が担当

映画の主題歌も、樋口了一が担当した「いまダンスをするのは誰だ?」です。

2022年9月7日に配信シングルとして発表され、2023年8月16日にはデビュー30周年記念アルバムにも収録されました。

アルバムには映画の挿入歌「光のランナー」のほか、「Return match」「タコ公園」「笑う奴」「父として」などが収録されています。

映画では監督の古新舜が歌詞を担当し、樋口が作曲を担当しました。本人はインタビューで、前向きでエネルギッシュな音楽に仕上げたかったと説明しています。

自身の病気と重なる題材を扱いながら、主演だけでなく音楽面でも作品を支えたことは、デビュー30周年における大きな転換点でした。

【2026年最新】樋口了一の現在の活動と今後のライブ予定

2026年10月現在、樋口了一は62歳。熊本を拠点とする音楽活動を続けています。

現在の活動を知るうえで注目したいのは、熊本日日新聞の連載、エンドレスライスの活動、水曜どうでしょう関連イベントへの出演です。

熊本日日新聞で40回の自伝的連載がスタート

2026年4月1日、熊本日日新聞で樋口了一を取り上げる連載「わたしを語る『たどり着いたらそこがスタート』」が始まりました。

全40回の企画で、幼少期の音楽との出会い、学生時代のバンド活動、デビューまでの道のり、代表曲の誕生、パーキンソン病との向き合い方などを本人の視点から振り返る内容です。

この連載は、樋口の経歴を単なるプロフィールとして紹介するものではありません。音楽を始めた理由や、思いどおりにいかない出来事をどう受け止めてきたのかなど、アーティストとしての人生を時系列で知る手掛かりになります。

同紙は2026年のプロフィール紹介でも、樋口が各地でライブ活動を重ねていることを伝えています。

水曜どうでしょう祭UNITE2026にも出演者として掲載

HTBが開催した「水曜どうでしょう祭UNITE2026」は、2026年9月4日から6日まで北海道の大和ハウス プレミストドームで開催されました。

公式イベントページでは、樋口了一が3日間すべての出演者として掲載されています。鈴井貴之、大泉洋、藤村忠寿、嬉野雅道ら番組関係者とともに、水曜どうでしょうの世界観を支える音楽面の存在として位置づけられています。

さらに、2026年の「水曜どうでしょうCARAVAN」では、10月8日の福井県あわら市、10月10日の兵庫県加東市の開催ページにも出演者として名前が掲載されました。いずれも2026年10月30日時点では終了したイベントです。

特に注目したいのは、両イベントで古澤剛も出演者に名を連ねていることです。長年の音楽的なつながりが、水曜どうでしょう関連のステージでも続いています。

2026年11月には大分で忘年会ライブを予定

今後の予定として注目されるのが、2026年11月19日に大分市のブリックブロックで開催予定の「樋口了一忘年会ライブ2026」です。

村上ゆきの公式ライブ情報によると、樋口了一、村上ゆき、古澤剛によるタケヒゴフレンチとして参加する予定です。

この公演は、ソロアーティストとしての樋口だけでなく、長年の音楽仲間とのユニット活動を楽しめる機会でもあります。

また、2026年5月にはイオンモール筑紫野でエンドレスライスの熊本応援感謝ライブも開催されており、地域に根差した音楽活動も続いています。

2026年の樋口了一を理解する3つの視点

現在の活動を整理すると、次の3つの方向性が見えてきます。

- 代表曲を届け続ける活動: 「1/6の夢旅人2002」「手紙~親愛なる子供たちへ~」をライブで歌い続ける。
- 音楽仲間との共同制作: 村上ゆきとのエンドレスライスや、古澤剛を含むタケヒゴフレンチとして活動する。
- 病気への理解を広げる活動: 自身の経験を音楽や映画、インタビューなどを通じて伝える。

2026年の動向から分かるのは、樋口の活動が過去のヒット曲の再現だけにとどまっていないことです。新しい表現方法や仲間との共演を通じて、現在進行形の音楽活動を続けています。

【よくある質問】樋口了一に関する疑問を解説(FAQ)

Q1:樋口了一は現在何歳ですか?

A1: 1964年2月2日生まれで、2026年10月現在は62歳です。熊本県熊本市を拠点に、シンガーソングライターとして活動しています。

Q2:樋口了一の病気は何ですか?

A2: パーキンソン病です。2007年ごろに身体の異変を感じ、2009年に診断されました。2012年に病気を公表し、現在も治療と向き合いながら音楽活動を続けています。

Q3:「1/6の夢旅人2002」は何の主題歌ですか?

A3: 北海道テレビ放送のバラエティ番組『水曜どうでしょう』シリーズのエンディングテーマとして知られる楽曲です。2003年3月5日にCD発売され、番組ファンを中心に長く親しまれています。

【プロの結論】樋口了一の音楽人生は病気だけでは語れない

樋口了一の音楽人生を振り返ると、1993年のデビューから2026年まで、活動の形を変えながら音楽を届け続けてきたことが分かります。

「1/6の夢旅人2002」では旅と仲間の大切さを歌い、「手紙~親愛なる子供たちへ~」では親子や人生のつながりを表現しました。さらに、SMAPや郷ひろみ、中島美嘉、石川さゆりらへの楽曲提供を通じて、作曲家としても実績を積み重ねています。

パーキンソン病の診断は、音楽活動に大きな変化をもたらしました。しかし、演奏方法を工夫し、サポートギタリストと協力し、ユニット活動や映画出演にも挑戦しています。

樋口了一を初めて知る人には、まず次の順番で作品に触れることをおすすめします。

- 『水曜どうでしょう』を知っている人は「1/6の夢旅人2002」から聴く。
- 家族や人生をテーマにした音楽に関心がある人は「手紙~親愛なる子供たちへ~」を聴く。
- 病気と音楽表現の関係に関心がある人は映画『いまダンスをするのは誰だ?』を観る。
- 現在の活動を知りたい人は、エンドレスライスやタケヒゴフレンチのライブにも注目する。

大切なのは、樋口了一を「パーキンソン病と闘う歌手」という一つの肩書だけで理解しないことです。彼は、30年以上にわたって作品を生み出し、音楽仲間と表現を続け、新しい挑戦を重ねてきたシンガーソングライターです。

2026年も熊本日日新聞の連載や水曜どうでしょう関連イベント、ユニット活動などを通じて、その音楽人生は続いています。

「たどり着いたらそこがスタート」。樋口了一の代表曲に通じるこの考え方は、これまでの歩みだけでなく、これからの活動を見つめるうえでも印象的な言葉です。 (出典: 樋口 了 一(Yahoo!ニュース))