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- 妻は生涯で3人: 有馬稲子、淡路恵子、甲にしきの順に結婚した。 - 淡路恵子との間に実子2人: 淡路の前のパートナーとの間に生まれた2人の息子も含め、4人の息子がいた。 - 最後の妻は甲にしき: 1987年に淡路と離婚し、1990年4月に甲にしきと再々婚した。 - 晩年は病との闘い: 重症筋無力症から復帰した後、中咽頭がんを患い、1997年3月10日に64歳で亡くなった。

【結論】萬屋錦之介の妻は誰?歴代3人のプロフィールと結婚歴

萬屋錦之介妻
【画像】萬屋 錦之介 妻 関連ショット

萬屋錦之介の妻は、次の3人です。

1人目:有馬稲子(ありま・いねこ)

萬屋錦之介妻
【写真】萬屋 錦之介 妻 近影・注目カット


有馬稲子

女優・元宝塚歌劇団
- 結婚:1961年11月
- 離婚:1965年7月
- 出会い:映画『浪花の恋の物語』

2人目:淡路恵子(あわじ・けいこ)

萬屋錦之介妻
【資料】萬屋 錦之介 妻 報道・メディア記録


淡路恵子

女優
- 結婚:1966年11月20日
- 離婚:1987年1月
- 子供:萬屋との間に実子2人

3人目:甲にしき(こう・にしき)


甲にしき

元宝塚歌劇団・花組男役トップスター
- 結婚:1990年4月
- 関係:萬屋の最後の妻
- 1997年の死去まで夫婦関係が続いた

映画・芸能情報を扱うKINENOTEの人物略歴や、BSテレ東の有馬稲子に関する番組資料でも、最初の結婚から最後の再婚までの経緯が確認できます。

【最初の結婚】有馬稲子との馴れ初めと離婚理由

萬屋錦之介が最初に結婚したのは、映画界で人気を集めていた女優・有馬稲子です。

2人の出会いは、1959年公開の映画『浪花の恋の物語』でした。

映画共演から結婚へ

有馬稲子は宝塚歌劇団を経て映画界に進出し、小津安二郎監督作品などにも出演した実力派女優です。

一方の錦之介は、当時まだ中村錦之助の芸名で活躍していました。

2人は内田吐夢監督の『浪花の恋の物語』で共演。映画の中で悲恋を演じた2人は、やがて現実でも結婚することになります。

KINENOTEの略歴によると、2人は1960年12月に婚約を発表し、1961年11月27日に結婚式を挙げました。

なぜ有馬稲子と離婚したのか?

2人の結婚生活は長く続かず、1965年7月23日に離婚が発表されました。

BSテレ東の番組資料では、離婚の背景について、有馬が舞台女優としても忙しく活動するようになり、夫婦のすれ違いが生じたことが紹介されています。

当時の2人は、それぞれ俳優としての仕事に情熱を注いでいました。

結婚によって家庭を築いたものの、仕事と生活の両立が難しくなっていったことが、夫婦関係に影響したと考えられます。

なお、有馬稲子との間に子供はいません。

有馬はその後、1969年に実業家と再婚しましたが、1983年に再び離婚しています。舞台『はなれ瞽女おりん』などで長く活躍したことでも知られています。

【2人目の妻】淡路恵子との結婚生活と4人の子供

萬屋錦之介の結婚歴の中でも、とりわけ長い夫婦生活を送ったのが淡路恵子です。

2人が結婚したのは1966年11月20日。

淡路は前年公開の映画『丹下左膳』で錦之介と共演していました。日刊スポーツの報道によると、淡路は結婚前の同年5月に芸能界を引退し、家庭に入っています。

淡路恵子との家族構成は?

2人の家庭には、合計4人の息子がいました。

ただし、4人全員が萬屋錦之介との血縁上の実子というわけではありません。

淡路には、錦之介と結婚する前のパートナーとの間に生まれた2人の息子がいました。その後、錦之介との間にも2人の息子が誕生しています。

日刊スポーツの2012年の記事では、長男の俳優・島英津夫について、淡路とフィリピン人歌手ビンボー・ダナオとの間に生まれた子供で、錦之介にとっては義理の息子だったと説明されています。

家族関係を整理すると、次のようになります。

- 長男:島英津夫
淡路の前のパートナーとの間に生まれた息子。俳優として活動し、萬屋錦之介ともドラマや映画で共演しました。

- 次男: 淡路の前のパートナーとの間に生まれた息子。

- 三男:小川晃広
萬屋錦之介と淡路恵子の実子。俳優として活動しました。

- 四男: 萬屋錦之介と淡路恵子の実子。芸名は萬屋吉之亮です。

つまり、錦之介の血を引く息子は2人、家庭で父親として関わった息子は合計4人という構成です。

重症筋無力症に倒れた夫を支えた淡路恵子

淡路恵子との結婚生活を語るうえで欠かせないのが、1982年に起きた萬屋錦之介の病気と事業の問題です。

1982年2月、錦之介が経営していた中村プロダクションが倒産。日刊スポーツによると、負債総額は12億7,000万円に達しました。

さらに同年6月、錦之介は重症筋無力症を発症して入院します。

重症筋無力症は、神経と筋肉の接合部に異常が起き、筋力低下や疲れやすさなどを引き起こす病気です。当時の錦之介にとって、俳優としての活動を続けるうえでも大きな試練でした。

淡路は経済的な問題にも直面しながら、夫の療養を支えました。

淡路の著書を引用した近年の人物記事では、病室に寝泊まりして看病したことや、1984年の錦之介の俳優復帰を喜んだことが紹介されています。

復帰作はフジテレビ系の『時代劇スペシャル 子連れ狼』。再び拝一刀を演じる姿は、病気を乗り越えた俳優としての復活を象徴する出来事となりました。

しかし、献身的な看病を経た夫婦にも、やがて別れの時が訪れます。

【歴代妻を比較】結婚・離婚・家族関係を時系列で整理

ここまでの経緯を、結婚歴と人物関係が分かるように整理します。

妻・関係者結婚・関係の時期夫婦・家族関係
有馬稲子1961年11月〜1965年7月最初の妻。映画共演をきっかけに結婚。子供はいない
淡路恵子1966年11月〜1987年1月2人目の妻。4人の息子がいる家庭を築いた
甲にしき1990年4月〜1997年3月3人目の妻。最後の妻となる
島英津夫1961年生まれ淡路の長男。錦之介とは義理の親子関係
小川晃広-錦之介と淡路の実子
萬屋吉之亮-錦之介と淡路の実子

※淡路の次男も家庭の一員でしたが、一般人として生活していたため、個人名などの詳細は省いています。

結婚・離婚時期はKINENOTE、日刊スポーツなどの人物略歴・報道を基に整理しています。

【離婚理由と3人目の妻】淡路恵子との別れから甲にしきとの再婚へ

萬屋錦之介と淡路恵子が離婚するまでには、家庭内の問題だけでなく、甲にしきとの関係も関わっていました。

1986年に別居、1987年に正式離婚

日刊スポーツの報道によると、1986年9月に錦之介と淡路の別居が明らかになり、同時に甲にしきとの不倫関係も報じられました。

その後、1987年1月に正式離婚しています。

この時期の家庭には、事業の倒産、巨額の負債、病気、家の所有権をめぐる問題など、複数の困難が重なっていました。

淡路は借金返済のため、1986年には東京・六本木の高級クラブで働いていたことも報じられています。

こうした経済的な負担と、甲にしきとの関係をめぐる夫婦間の問題が、離婚に至る経緯に重なっていました。

したがって、離婚理由を単純に病気や借金だけに求めることはできません。報道で明らかになっている大きな転機は、別居と甲にしきとの関係でした。

甲にしきとはどんな人物?

甲にしきは、宝塚歌劇団出身の元女優です。

花組の男役トップスターとして活躍し、1974年に宝塚歌劇団を退団した後は女優として活動しました。

錦之介とは1980年代半ばから関係が報じられ、淡路との離婚後、1990年4月に再々婚しています。

甲にしきは、錦之介の最後の妻となりました。

3人の妻が萬屋錦之介の葬儀に集まった

1997年3月、錦之介が亡くなった際には、芸能界でも3人の妻の存在が注目されました。

日刊ゲンダイの当時を振り返る記事によると、甲にしきが喪主を務め、有馬稲子と淡路恵子も葬儀に参列しました。

淡路は離婚後も錦之介との思い出を大切にしていたとされ、葬儀の場では現在の妻である甲にしきに対しても配慮を示す言葉を残しています。

3人の女性がそれぞれ異なる形で錦之介の人生に関わっていたことを象徴する出来事でした。

【晩年と死去】重症筋無力症から復帰、最後は中咽頭がんとの闘病

萬屋錦之介は、1982年の重症筋無力症を乗り越え、俳優として再び活躍しました。

1983年には『子連れ狼』で復帰。その後も舞台やテレビ時代劇に出演し、1994年には『花の乱』でNHK大河ドラマに出演しています。

しかし、晩年には別の大きな病気に見舞われました。

1996年に中咽頭がんが判明

1996年春、錦之介は喉の不調を訴え、検査によって中咽頭がんと診断されました。

日刊ゲンダイの記事によれば、1996年6月27日に入院し、7月18日に手術を受けています。

手術では扁桃と舌の半分を切除。声を出すことが難しくなり、普段の会話は筆談、食事も流動食に限られる状態となりました。

それでも、錦之介は再び舞台に立つことを目指して、舌を動かし発声するための訓練に取り組んでいたと伝えられています。

1997年3月10日、64歳で死去

1997年2月21日には一時退院できるまで回復しましたが、同月25日に高熱を発症。肺炎と診断されました。

そして、1997年3月10日午後2時41分、千葉県柏市の国立がんセンター東病院で死去。享年64歳でした。

死因として報じられたのは肺炎です。中咽頭がんの手術後、長い闘病生活を送る中で体力が低下していました。

なお、2人目の妻だった淡路恵子も2014年1月11日に食道がんで80歳で亡くなっています。夫婦としての関係は1987年に終わりましたが、淡路が晩年まで錦之介を大切に思っていたことは、長男・島英津夫の証言などからもうかがえます。

【萬屋錦之介の妻】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:萬屋錦之介の妻は全部で何人ですか?

A1:生涯で3人です。最初の妻が有馬稲子、2人目が淡路恵子、最後の妻が甲にしきです。

Q2:萬屋錦之介と淡路恵子の間に子供は何人いましたか?

A2:実子は2人です。淡路の前のパートナーとの間に生まれた2人の息子も含めると、家庭には合計4人の息子がいました。

Q3:萬屋錦之介と有馬稲子の離婚理由は何ですか?

A3:仕事の忙しさによるすれ違いが背景として紹介されています。1965年7月に離婚が発表されました。

Q4:淡路恵子との離婚理由は何ですか?

A4:1986年の別居と、甲にしきとの関係が大きな転機として報じられています。1987年1月に正式離婚しました。

Q5:萬屋錦之介の最後の妻は誰ですか?

A5:元宝塚歌劇団の甲にしきです。1990年4月に再々婚し、1997年の錦之介の死去まで妻でした。

Q6:萬屋錦之介の死因は何ですか?

A6:中咽頭がんの手術後に闘病生活を送り、1997年3月10日に肺炎のため64歳で亡くなりました。

まとめ:萬屋錦之介の3人の妻と家族関係から見える生涯

萬屋錦之介の結婚歴を振り返ると、3人の妻との関係はそれぞれ異なるものでした。

- 有馬稲子とは映画共演をきっかけに結婚し、仕事上のすれ違いを経て1965年に離婚。
- 淡路恵子とは1966年に結婚し、4人の息子がいる家庭を築いた。病気や経済的な困難をともに乗り越えた時期もあったが、1987年に離婚。
- 甲にしきとは1990年に再々婚し、最後の妻となった。

【プロの結論】

萬屋錦之介の結婚歴を理解するうえで大切なのは、3人の妻を単に歴代の交際相手として並べないことです。

有馬稲子との結婚は映画界のスター同士の出会い、淡路恵子との結婚は子供を含む家庭生活と長い闘病、甲にしきとの結婚は人生の最後をともにした関係という、それぞれ異なる背景があります。

また、子供についても、4人全員が実子という誤解には注意が必要です。淡路の前のパートナーとの間に生まれた2人と、錦之介との実子2人を区別することで、家族構成が正確に理解できます。

時代劇スターとして数々の名作を残した萬屋錦之介。その人生には、俳優としての栄光だけでなく、家族との絆、別れ、そして病と向き合いながら舞台への復帰を目指した姿が刻まれています。

1997年に亡くなってから長い年月が経った2026年現在も、彼の代表作とともに、その波乱に満ちた人生は語り継がれています。 (出典: 萬屋 錦之介 妻(Yahoo!ニュース))