【2026年最新】徳川慶喜の写真は現存する?有名な肖像写真の真相
徳川慶喜の写真を調べる際、最初に押さえておきたいのが、幕末に撮影された肖像写真と、明治時代に本人が撮影した写真は別の資料群であるという点です。
特に重要なのが、徳川ミュージアムが所蔵する「徳川慶喜公肖像写真」です。
この資料は文化遺産オンラインにも登録されており、次の情報が確認できます。
- 撮影者:サットン大佐
- 撮影年月日:1867年3月27日
- 撮影場所:大阪
- 資料分類:写真
- 技法:鶏卵紙印画、岩絵具彩色
- 寸法:縦9.3cm、横5.8cm
- 所蔵:徳川ミュージアム
つまり、現在インターネットで見られる徳川慶喜の肖像写真には、実際の歴史資料に裏付けられたものがあります。
特筆すべきは、当時の写真が現代のようなカラー写真ではなかったことです。この肖像には岩絵具による彩色が施されており、撮影後に人の手で色を加えた写真でした。
【撮影の経緯】1867年、サットン大佐が徳川慶喜を撮影した理由
この写真が歴史的に重要なのは、撮影された時期と政治的背景にあります。
1867年は、江戸幕府の政治体制が大きく揺れ動いていた時代です。慶喜は第15代将軍として、外国との外交交渉にも直接関わっていました。
徳川ミュージアムの資料解説によると、慶喜は同年3月25日、兵庫開港を決意し、英・仏・米・蘭の公使にその方針を伝えています。
その後、3月27日に英国公使ハリー・パークスらと会見しました。
この会見後、英国軍艦サーペント号の機関長だったサットン大佐が慶喜を撮影しています。
さらに翌3月28日には、慶喜が英国公使館付歩兵護衛隊の第9連隊分遣隊を閲兵した際の写真も撮影されました。
写真の裏面に残された記録
この資料で興味深いのが、写真の裏面に記された文字です。
徳川ミュージアムの解説では、2枚の写真の裏に次のような記載があるとされています。
Stots Bashi, Tycoon of Japan
Photo (d) by F.W.Sutton C.E.R.N./ at Oosaka 1867
撮影者や撮影場所、撮影年を示す記載が残っているため、写真の由来を考えるうえで重要な手掛かりになっています。
また、この会見の様子は英国にも伝わり、1867年8月10日号の「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」に口絵入りで掲載されました。
一枚の写真が日本国内だけでなく、海外にも伝わっていたことは、当時の外交と写真文化のつながりを示しています。
【写真で分かる歴史】徳川慶喜の肖像と関係人物・年代別まとめ
徳川慶喜の写真を正しく理解するには、本人だけでなく、撮影に関わった人物や、その後の徳川家の歴史も押さえる必要があります。
特に重要なのが、撮影者サットン大佐、慶喜の後継者となった徳川家達、そして写真資料を保存・公開する博物館です。
徳川慶喜写真に関係する人物と資料
| 人物・資料 | 年代 | 関係・特徴 |
|---|---|---|
| 徳川慶喜 | 1837~1913年 | 江戸幕府第15代将軍 |
| F.W.サットン大佐 | 1867年 | 慶喜の肖像写真を撮影 |
| ハリー・パークス | 1867年 | 英国公使。慶喜との会見に関係 |
| 徳川家達 | 1888年 | 慶喜と並んだ写真が現存 |
| 徳川ミュージアム | 現在 | 慶喜の肖像写真を所蔵 |
| 国立国会図書館 | 現在 | 慶喜の肖像や撮影写真集の書誌情報を公開 |
1888年には徳川家達とのツーショット写真も
徳川慶喜の写真を語るうえで、もう一つ注目したいのが、明治21年(1888年)の徳川慶喜・家達写真です。
静岡市歴史博物館の収蔵資料データベースに登録されている写真で、慶喜と徳川家達が並んで写っています。
家達が静岡を訪れた際に撮影され、旧幕臣たちに配られたものと考えられています。
この写真が興味深いのは、単なる人物記録ではなく、明治維新後の徳川家の関係を伝える資料でもあることです。
将軍職を退いた慶喜と、徳川宗家を継いだ家達が一緒に写っているため、幕府消滅後の徳川家の歩みを視覚的に理解できます。
【意外な素顔】徳川慶喜は写真を撮る側でもあった!カメラマン将軍の実像
徳川慶喜の写真に関する最大の発見は、本人が写真を撮影していたという事実です。
慶喜は、歴史上の重要人物として撮影されただけではありません。明治時代にはカメラを趣味として扱い、自ら写真を残しました。
このため、慶喜は「カメラマン将軍」とも紹介されています。
写真集『将軍が撮った明治』に注目
1986年10月、朝日新聞社から『将軍が撮った明治―徳川慶喜公撮影写真集』が刊行されました。
国立国会図書館の書誌情報によると、次のような書籍です。
- 書名:将軍が撮った明治
- 著者:徳川慶喜(写真)
- 出版社:朝日新聞社
- 出版年月:1986年10月
- ページ数:135ページ
- 監修:徳川慶朝
この写真集には、静岡時代の慶喜や東京での生活、周辺の人物、当時の風景などが収録されています。
注目したいのは、写真の題材が政治や軍事だけではないことです。
日常生活に関わる場所や人物、明治時代の風景なども記録されています。
つまり、慶喜の写真は、将軍としての経歴を伝えるだけでなく、一人の人間がどのような時代を生きたのかを知る資料にもなっているのです。
慶喜が撮影した具体的な写真
墨田区公式ホームページでは、過去に開催された特別展「将軍が撮った明治のすみだ」の展示内容が紹介されています。
そこには、次のような写真作品が記録されています。
- 徳川慶喜撮影「小梅西洋館」
- 徳川慶喜撮影「隅田川花見」
- 徳川慶喜撮影「サッポロビール園」
これらは、慶喜が歴史的な出来事だけでなく、建物や風景、人々の暮らしにも関心を向けていたことを示す資料です。
特に、隅田川の花見や建築物の写真は、明治期の東京周辺の様子を知るうえでも興味深いものです。
【噂の真相】徳川慶喜の写真に関する誤解とネットの反応、炎上情報
徳川慶喜の写真を検索すると、さまざまな肖像画像やカラー写真、明治時代の古写真が表示されます。
ただし、すべてが同じ時期に撮影されたものではありません。
写真の年代や撮影者を区別することが、歴史資料を正しく理解するポイントです。
よくある誤解と事実
誤解1:徳川慶喜の写真はすべて外国人が撮影した?
実際には違います。
1867年の肖像写真はサットン大佐が撮影しましたが、慶喜自身も明治時代に写真を撮影しています。
被写体としての慶喜と、撮影者としての慶喜を混同しないことが大切です。
誤解2:ネットで見かけるカラー写真は現代の加工?
すべてが現代の着色とは限りません。
徳川ミュージアム所蔵の1867年の肖像写真は、鶏卵紙印画に岩絵具で彩色したものです。
つまり、少なくともこの資料については、当時から手作業による着色が行われていました。
誤解3:慶喜の写真は一種類しか残っていない?
これも正確ではありません。
国立国会図書館の「近代日本人の肖像」では、徳川慶喜の肖像資料が複数紹介されています。また、本人が撮影した写真集や、1888年の慶喜・家達写真なども確認できます。
ネットの反応や炎上は起きている?
徳川慶喜の写真に関しては、2026年11月2日時点で、写真そのものをめぐる大規模な炎上や、新たな写真発見を発表する公式ニュースは確認できません。
一方、写真に関心を持つ読者にとっては、次の3点が特に興味深いテーマです。
- 幕末の将軍が実際にどのような姿をしていたのか。
- 将軍を務めた人物が、なぜ写真撮影を趣味にしたのか。
- 写真に残された明治時代の生活や風景から、どのような歴史が読み取れるのか。
こうした疑問は、単なる歴史上の人物の顔写真探しを超え、写真史や近代日本の文化への関心につながります。
【2026年最新ニュース】徳川慶喜に関連する展示・写真資料の調べ方
2026年は、徳川慶喜が第15代将軍に就任してから160年に当たります。
その節目に合わせ、慶喜の人物像や周辺人物を紹介する企画展も開催されました。
2026年の主な関連展示情報
1.霊山歴史館「将軍就任160年 徳川慶喜と慶喜をめぐる人々」
2026年1月15日から5月10日まで開催された企画展です。
慶喜の生い立ちや父・徳川斉昭との関係、幕末の政治状況などを取り上げ、慶喜という人物の実像に迫る内容でした。
将軍就任160年という節目を歴史的に理解するうえで参考になる展示です。なお、会期はすでに終了しています。
2.久能山東照宮博物館「德川記念財団名品展Ⅱ」
2026年10月16日から11月30日まで開催されている展示です。
出品資料には、徳川慶喜所用の「葵紋付麻地帷子」が含まれています。
写真そのものを中心にした展覧会ではありませんが、慶喜が実際に使用した衣服などを通じて、当時の生活や徳川家の文化を知る機会になります。
- 会場:久能山東照宮博物館
- 会期:2026年10月16日~11月30日
- 開館時間:9時~17時
- 入館料:大人600円、小・中学生300円
展示内容は会期中に変更される場合があります。
徳川慶喜の写真を確認できる主な公的資料
| 資料・施設 | 確認できる内容 | おすすめの目的 |
|---|---|---|
| 徳川ミュージアム | 1867年の肖像写真 | 撮影者・撮影年代の確認 |
| 文化遺産オンライン | 写真の寸法・技法・所蔵情報 | 文化財としての詳細確認 |
| 国立国会図書館 | 慶喜の肖像・写真集 | 歴史資料の調査 |
| 静岡市歴史博物館 | 1888年の慶喜・家達写真 | 明治期の徳川家の関係 |
| 墨田区公式資料 | 慶喜自身が撮影した写真 | 写真家としての活動 |
写真そのものを見たい場合は徳川ミュージアムの収蔵品データベース、歴史的な背景まで詳しく調べたい場合は国立国会図書館の資料が特に参考になります。
【プロの結論】徳川慶喜の写真から読み解くべき3つの歴史的価値
徳川慶喜の写真は、単に最後の将軍の顔を確認するための資料ではありません。
歴史資料として見ると、少なくとも3つの重要な意味があります。
1.幕末の外交を記録した一次資料
1867年のサットン大佐による撮影は、慶喜と英国側との外交関係を考えるうえで重要です。
写真の裏書きや撮影年月日、会見に関する記録が残されているため、当時の国際関係を具体的に考察できます。
2.明治時代の生活を伝える視覚資料
慶喜自身が撮影した写真には、当時の建物や風景、身近な人々が記録されています。
これは、文字資料だけでは分かりにくい明治時代の日常生活を理解する手掛かりになります。
3.歴史上の人物に対するイメージを更新する資料
慶喜は、大政奉還を行った最後の将軍という政治的な側面で語られることが多い人物です。
しかし写真資料を通じて見ると、外交の場に立つ人物であり、明治時代を生きた一人の人間であり、写真撮影を楽しむ趣味人でもあったことが分かります。
歴史上の人物を一つの役割だけで理解しないこと。それが写真資料を読み解く大きな価値です。
【徳川慶喜の写真】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:徳川慶喜の有名な写真は誰が撮影したものですか?
A1:代表的なものは、1867年3月27日に英国軍艦サーペント号の機関長サットン大佐が撮影した肖像写真です。徳川ミュージアムに所蔵されています。
Q2:徳川慶喜の若い頃の写真は残っていますか?
A2:幕末の将軍時代に撮影された肖像写真が残っています。国立国会図書館の「近代日本人の肖像」でも複数の肖像資料を確認できます。
Q3:徳川慶喜は自分でも写真を撮っていたのですか?
A3:はい。明治時代に自ら撮影した写真が残されています。1986年刊行の『将軍が撮った明治』には、慶喜が撮影した写真が収録されています。
Q4:徳川慶喜の写真はカラーですか?
A4:1867年の代表的な肖像写真は、鶏卵紙印画に岩絵具で彩色したものです。現代のカラー写真とは異なる、手作業による着色写真です。
Q5:徳川慶喜と徳川家達が一緒に写った写真はありますか?
A5:あります。静岡市歴史博物館が所蔵する1888年の写真で、慶喜と家達が並んで写っています。
Q6:2026年に徳川慶喜の写真に関する新発見はありましたか?
A6:2026年11月2日時点で、新たな肖像写真の発見を発表する公的な情報は確認できません。一方、将軍就任160年に関連する企画展や、徳川家ゆかりの資料展示が行われています。
まとめ:徳川慶喜の写真は幕末と明治をつなぐ貴重な歴史資料
徳川慶喜の写真には、幕末の将軍時代に撮影された肖像写真と、明治時代に本人が撮影した写真という、異なる二つの側面があります。
特に1867年のサットン大佐による肖像写真は、外国との外交が重要な局面を迎えていた時期の慶喜を記録した貴重な資料です。
また、1986年刊行の写真集『将軍が撮った明治』や、1888年の徳川家達との写真からは、政治の表舞台を離れた後の慶喜の姿も読み取れます。
2026年の最新情報を調べる場合は、次の順番がおすすめです。
1. 徳川ミュージアム: 幕末の肖像写真を確認する。
2. 国立国会図書館: 慶喜の肖像や本人撮影の写真集を調べる。
3. 静岡市歴史博物館: 明治時代の慶喜と家達の写真を確認する。
4. 徳川記念財団・関連博物館: 現在の展示や関連史料を調べる。
徳川慶喜の写真は、幕末の政治史だけでなく、日本の写真文化や明治時代の暮らしを知るための重要な手掛かりです。肖像写真の撮影者や年代、本人が残した作品を区別して見ることで、最後の将軍の知られざる一面が浮かび上がります。 (出典: 徳川 慶喜 写真(Yahoo!ニュース))