【結論】平野レミの夫は和田誠!イラストレーターとして活躍した人物
平野レミさんの夫だった和田誠さんは、1936年4月10日生まれ、大阪府出身のグラフィックデザイナー・イラストレーターです。多彩な才能を持ち、エッセイスト、映画監督、アニメーション作家としても活動しました。
代表的な仕事として知られるのが、たばこ「ハイライト」のパッケージデザインと、雑誌『週刊文春』の表紙イラストです。
和田さんは1960年に発売された「ハイライト」のパッケージデザインを担当。1968年に独立した後も、広告、書籍の装丁、映画ポスターなど幅広い分野で作品を残しました。
さらに、1984年には映画『麻雀放浪記』で監督を務め、1988年の『快盗ルビイ』でも監督・脚本などを担当しています。
東京文化財研究所の『日本美術年鑑』に掲載された物故者記事でも、和田さんは日本のイラストレーション文化の発展に貢献した人物として紹介されています。
特に、イラストレーターという職業の認知を広げた功績は大きく、単に絵を描く人ではなく、日本のグラフィックデザイン史に足跡を残したクリエイターでした。
和田誠のプロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 和田誠(わだ・まこと) |
| 生年月日 | 1936年4月10日 |
| 出身地 | 大阪府 |
| 職業 | イラストレーター、グラフィックデザイナー、映画監督、エッセイスト |
| 妻 | 平野レミ |
| 結婚 | 1972年 |
| 長男 | 和田唱 |
| 次男 | 和田率 |
| 主な仕事 | ハイライトのパッケージ、週刊文春の表紙 |
| 死去 | 2019年10月7日 |
| 享年 | 83歳 |
出典:和田誠オフィシャルサイト、東京文化財研究所『日本美術年鑑』。
【馴れ初め】平野レミと和田誠はどう出会った?約10日で結婚した理由
2人の出会いには、ラジオ番組と久米宏さんの存在が深く関係しています。
2026年5月に公開された文春オンラインのインタビュー記事で、平野さんは和田さんとの出会いを振り返っています。
和田誠がラジオを通じて平野レミに興味を持った
当時の平野さんは、シャンソン歌手として活動していました。
TBSラジオの番組「ミュージック・キャラバン」では、久米宏さんのアシスタントを担当。自由で歯切れのよいトークが持ち味でした。
和田さんは久米さんと麻雀仲間で、ラジオを通じて平野さんの存在を知ります。
そして、久米さんに平野さんを紹介してほしいと頼みました。
ところが、久米さんはなかなか紹介してくれませんでした。
平野さんが2026年のNHK Eテレ「最後の講義」で語ったところによると、久米さんは和田さんに平野さんを紹介することに難色を示していたそうです。
その理由について、平野さんは久米さんから「彼女を紹介したら和田さんは人生を棒に振る」といった趣旨のことを言われていたと振り返っています。
しかし、和田さんは諦めませんでした。
プロデューサーを通じて平野さんと知り合う機会をつくり、ついに初対面が実現します。
初対面から会話が弾み、和田誠の自宅へ
2026年5月の文春オンライン掲載の本人の回想によると、2人が初めて顔を合わせたのはTBSのビルにある日本料理店でした。
平野さんが印象に残ったのは、和田さんの落ち着いた雰囲気と豊富な知識です。
食事中には、魚のヒラメとカレイの見分け方を教えてもらったことも覚えているといいます。
一方、和田さんは、平野さんがしゃぶしゃぶのたれの作り方を店員に尋ねる様子を見て、料理好きな人だと感じたそうです。
食事の後、和田さんは平野さんを自宅に誘いました。
そこでは大蘇芳年の作品を収めた画集を見ながら、怪談や幽霊の話をしたといいます。
平野さんの父親は怪談好きとして知られ、本人も不思議な話が好きだったため、2人の会話は盛り上がりました。
その後も平野さんは和田さんの自宅を訪れるようになり、短い期間で距離を縮めていきます。
フランク・シナトラのコンサートが結婚のきっかけに
2人の結婚までの経緯で印象的なのが、和田さんがアメリカへ出かけたエピソードです。
和田さんは以前から計画していたフランク・シナトラのコンサートを見るため、アメリカへ向かいました。
平野さんは、会えなくなったことで自分が和田さんを好きになっていたことを実感したと振り返っています。
帰国した和田さんは平野さんにプロポーズ。
平野さんは迷うことなく承諾したそうです。
2026年の文春オンラインで公開された本人の回想では、出会って約1週間で結婚を決めたと説明されています。一方、2022年の「徹子の部屋」出演時には「10日で結婚しちゃったの!」と語っていました。
つまり、細かな日数の表現には違いがありますが、初対面から約10日という短期間で結婚に至ったことは、本人の複数の回想で語られている事実です。
【47年間の夫婦生活】平野レミと和田誠はどんな夫婦だった?
1972年に結婚した2人は、2019年に和田さんが亡くなるまで47年間連れ添いました。
その夫婦生活を振り返ると、単に仲のよい夫婦だったというだけではなく、お互いの仕事や個性を尊重しながら暮らしていたことが分かります。
和田誠は家事や育児にも積極的だった
講談社の「with online」で2021年に公開された平野さんのインタビューでは、和田さんの家庭での様子が語られています。
平野さんによると、和田さんは家事や育児にも協力的でした。
例えば、平野さんが仕事で家を空ける日は、和田さんが早く帰宅して子どもの面倒を見ていたそうです。
また、ゴミ出しや食器洗いも担当し、平野さんの仕事に口を出すこともなかったといいます。
平野さんは、このような夫の協力があったからこそ、自分の好きな仕事を続けられたと振り返っています。
料理愛好家としての平野レミを支えた夫
平野さんはもともとシャンソン歌手でしたが、結婚後は家庭で料理を作る機会が増え、料理の世界でも活動するようになります。
和田さんは、平野さんの料理を気に入り、日々の食卓を楽しんでいたそうです。
平野さんの料理は、一般的な料理研究家のイメージに収まらない大胆な発想が特徴です。
食材の組み合わせや盛り付けにも独自の工夫があり、テレビ番組でも視聴者を驚かせてきました。
その背景には、家庭で料理を作り、夫や子どもたちに食べてもらう時間がありました。
2024年のキネヅカのインタビューでも、平野さんは料理を通じて人を幸せにすることについて語っています。
47年間を支えたのは、お互いの自由を尊重する関係
平野さんは、結婚生活について講談社のインタビューで次のように振り返っています。
和田さんが亡くなるまで47年間、あっという間よ。
また、夫が自分の仕事に干渉せず、家庭のことも積極的に担ってくれたことに感謝を示しています。
ここから見えてくるのは、夫婦のどちらか一方が相手に合わせ続ける関係ではなく、それぞれが自分の活動を大切にできる関係です。
和田さんは絵や映画の世界で創作を続け、平野さんは料理や歌の活動を続けました。
異なる分野で活躍しながらも、家庭では互いの仕事を尊重する。この距離感が、長い結婚生活を支えた大きな要素だったと考えられます。
【家族構成・人物相関】和田唱と和田率、2人の息子の現在
平野レミさんと和田誠さんの間には、2人の息子がいます。
長男はミュージシャンの和田唱さん、次男は実業家の和田率さんです。
和田家は、それぞれが異なるクリエイティブ分野で活動していることでも知られています。
平野レミを中心とした家族関係一覧
| 人物 | 関係 | 職業・活動 |
|---|---|---|
| 平野レミ | 妻・母 | 料理愛好家、シャンソン歌手 |
| 和田誠 | 夫・父 | イラストレーター、デザイナー、映画監督 |
| 和田唱 | 長男 | ミュージシャン、TRICERATOPSのボーカル・ギター |
| 和田率 | 次男 | 実業家、キッチン用品ブランドremy創業者 |
| 久米宏 | 和田誠と平野レミの共通の知人 | ラジオ番組を通じた出会いのきっかけ |
長男・和田唱はTRICERATOPSのボーカル
長男の和田唱さんは1975年生まれのミュージシャンです。
ロックバンド「TRICERATOPS(トライセラトップス)」のボーカル・ギターとして知られています。
音楽活動だけでなく、ミュージカル作品の作曲などにも携わっています。
2026年2月5日には、テレビ朝日系「徹子の部屋」に母親の平野レミさんと出演しました。
この共演は、2人にとってテレビでの初共演でした。
番組では、幼少期の思い出や有名人の親を持つことへの葛藤、音楽との出会いなどについて語り、親子で歌声を披露する場面もありました。
和田さんは、かつては親の知名度に頼らず、自分自身の音楽を認めてもらいたいという思いが強かったことも明かしています。
2026年10月時点では、和田唱さんはソロ活動にも力を入れています。
公式サイトでは2026年秋のトーク&ライブ公演や、12月29日の50周年アニバーサリー公演などが案内されています。
TRICERATOPSの活動で培った音楽性を生かしながら、個人名義での表現も広げている状況です。
次男・和田率はキッチン用品ブランドremyを創業
次男の和田率さんは1979年生まれの実業家です。
慶應義塾大学を卒業後、大手広告代理店でCMプランナーとしてキャリアを積みました。
その後、2014年にキッチン用品ブランド「remy」を創業しています。
remyでは、母親である平野レミさんの料理に対する考え方を受け継ぎ、調理器具の企画や開発を行っています。
また、父親の和田誠さんが持っていたクリエイティブな感覚とも通じる仕事を展開している点が興味深いところです。
著書には、お弁当作りをテーマにした『お弁父』があります。
remyの公式プロフィールでは、子どもたちのお弁当作りにも取り組んでいることが紹介されています。
和田家はそれぞれの専門分野で活躍
和田家の特徴は、親子が同じ仕事を選んだわけではないことです。
父・和田誠さんはデザインと映画、母・平野レミさんは料理と歌、長男・和田唱さんは音楽、次男・和田率さんは商品開発と広告の分野で活動しています。
それぞれが独自の仕事を持ちながら、食や芸術、創作という共通点でつながっています。
2025年には『週刊文春』の表紙にまつわる特集で、平野さんと2人の息子が和田誠さんの作品について語り合いました。
家族が父親の作品を振り返る姿は、和田さんの創作が現在も家族の中で受け継がれていることを感じさせます。
【死去の真相】和田誠は2019年10月7日に肺炎で83歳で死去
平野レミさんの夫、和田誠さんは2019年10月7日、肺炎のため亡くなりました。享年83歳でした。
東京文化財研究所の物故者記録にも、2019年10月7日に肺炎で亡くなったことが記録されています。
所属事務所の発表を受けて、2019年10月11日に訃報が広く報じられました。
和田誠の死因は肺炎
報道によると、和田さんは亡くなる約1年前から体調を崩して自宅療養を続けていました。
2019年7月から都内の病院に入院し、その後、肺炎を患って亡くなったとされています。
葬儀は近親者で執り行われました。
平野レミが明かした夫への最後の思い
和田さんの死去後、平野さんは夫への感謝を込めたコメントを発表しました。
特に印象的だったのは、47年間の食卓を振り返る言葉です。
47年間、私の料理を美味しい美味しいって食べてくれて本当にありがとう。
この言葉には、料理を作ることが平野さんにとってどれほど大切な時間だったのかが表れています。
2026年3月25日放送のNHK Eテレ「最後の講義」でも、平野さんは和田さんとの思い出を振り返りました。
和田さんのために作った最後の料理についても語り、棺に入れる料理であっても手を抜かず、味を確かめながら一生懸命作ったと明かしています。
料理を通じて夫に愛情を伝えてきた平野さんにとって、最後の料理もまた、47年間の夫婦生活を象徴する出来事だったのでしょう。
【2026年最新】平野レミの現在と「徹子の部屋」での親子共演
2026年の平野レミさんは、料理愛好家としての活動を続けながら、夫との思い出や家族についてもテレビ番組で語っています。
特に注目されたのが、2026年2月の「徹子の部屋」と、3月のNHK Eテレ「最後の講義」です。
2026年2月5日「徹子の部屋」で長男とテレビ初共演
2026年2月5日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」では、平野レミさんと長男の和田唱さんが親子で出演しました。
2人がテレビで共演するのは初めてです。
司会の黒柳徹子さんは、夫の和田誠さんと旧知の仲で、唱さんが生まれた頃から家族を知る存在でした。
番組では、平野さんが1976年に番組が始まった年に父親の平野威馬雄さんと出演していたことも紹介されました。
つまり、約50年の時を経て、今度は自分の息子と親子共演を果たしたことになります。
また、夫の和田誠さんが作った歌を唱さんのギターに合わせて歌う場面もありました。
父親が残した音楽と、母親の歌声、息子のギターが一つの番組で重なったことは、和田家の家族のつながりを感じさせる出来事でした。
2026年3月25日「最後の講義」で夫との思い出を語る
もう一つの注目番組が、NHK Eテレの「最後の講義」です。
2026年3月25日に放送され、6月13日には再放送も行われました。
番組では、平野さんが自身の人生や料理への思い、亡き夫との生活について語りました。
制作会社テレビマンユニオンの番組紹介では、夫を亡くした後の寂しさと、そこからどのように楽しく生きていくようになったのかという点も取り上げられています。
夫婦で過ごした時間を懐かしむだけではなく、喪失を経験した後も自分らしく生きる姿が伝わる内容でした。
2026年の家族の活動状況
2026年10月時点で確認できる家族の主な活動を整理すると、次のようになります。
| 家族 | 2026年の状況 |
|---|---|
| 平野レミ | 料理愛好家として活動。「徹子の部屋」「最後の講義」に出演 |
| 和田誠 | 2019年に死去。作品は公式サイトや出版物などで紹介 |
| 和田唱 | 音楽活動を継続。ソロ公演や50周年記念公演を予定 |
| 和田率 | remyの創業者として調理器具の企画・開発に携わる |
和田唱さんの活動は公式サイト、和田率さんの活動はremyの公式プロフィールでも確認できます。
2026年は、母親と長男のテレビ共演、父親の作品をめぐる家族の振り返りなど、和田家にとって節目を感じさせる話題が続いています。
【プロの結論】夫の死後も続く、和田家の創作と家族のつながり
平野レミさんと和田誠さんの関係を理解するうえで、注目したいのは結婚の速さだけではありません。
約10日で結婚を決めたというエピソードは印象的ですが、その後47年間、互いの仕事を尊重し、家庭を協力して築いてきたことにこそ、2人の夫婦関係の本質があります。
さらに、父親のデザインや芸術、母親の料理や歌、息子たちの音楽や商品開発へと、家族それぞれの才能が独立した形で発展しています。
和田誠さんが亡くなって7年が経過する2026年も、その作品と家族の活動は続いています。
夫婦の歩みを知ることは、和田さんの作品を理解するだけでなく、平野さんが料理を通じて届けてきた愛情を知ることにもつながります。
【よくある質問】平野レミの夫に関するFAQ
Q1:平野レミの夫は誰ですか?
A1:平野レミさんの夫は、イラストレーター・グラフィックデザイナー・映画監督として活躍した和田誠さんです。1972年に結婚し、2019年に和田さんが亡くなるまで47年間連れ添いました。
Q2:平野レミと和田誠の馴れ初めは?
A2:和田さんが久米宏さんと麻雀仲間だったことがきっかけです。和田さんは久米さんのラジオ番組を通じて平野さんに興味を持ち、共通の知人を介して初対面を果たしました。
Q3:平野レミと和田誠は本当に10日で結婚したのですか?
A3:はい。平野さん本人が「徹子の部屋」などで出会って10日で結婚したと語っています。2026年の回想では約1週間で結婚を決めたとも説明しており、いずれも出会いから非常に短期間で結婚を決めたことを示しています。
Q4:和田誠の死因は何ですか?
A4:2019年10月7日に肺炎のため83歳で亡くなりました。東京文化財研究所の物故者記録にも死因と没年月日が掲載されています。
Q5:平野レミには子どもが何人いますか?
A5:2人の息子がいます。長男はミュージシャンの和田唱さん、次男は実業家でキッチン用品ブランドremyを創業した和田率さんです。
Q6:和田唱は現在もTRICERATOPSで活動していますか?
A6:和田唱さんはTRICERATOPSのボーカル・ギターとして知られています。2026年はソロ活動にも取り組み、ライブやトーク&ライブ公演を開催しています。
Q7:平野レミは2026年の「徹子の部屋」に出演しましたか?
A7:はい。2026年2月5日放送回に長男の和田唱さんと出演しました。2人にとってテレビ初共演で、親子で歌声を披露する場面もありました。
Q8:2026年現在、平野レミは再婚していますか?
A8:2026年10月時点で、平野さんの再婚を公表した情報は確認されていません。公に知られている夫は2019年に亡くなった和田誠さんです。
まとめ:平野レミと和田誠が築いた47年間の夫婦の歴史
平野レミさんの夫は、イラストレーター・グラフィックデザイナーの和田誠さんです。
2人は1972年に結婚し、出会って約10日という短期間で人生を共にすることを決めました。
その後、2人の息子に恵まれ、互いの仕事を尊重しながら47年間の夫婦生活を送りました。
2019年10月7日、和田さんは肺炎のため83歳で亡くなりましたが、平野さんが料理に込めてきた愛情や、和田さんが残した数々の作品は現在も受け継がれています。
2026年には「徹子の部屋」での長男との初共演や、NHK Eテレ「最後の講義」での夫との思い出の披露が話題になりました。長男の和田唱さんは音楽活動を続け、次男の和田率さんもremyを通じて料理の世界に携わっています。
出会って約10日で始まった結婚が47年間続いた背景には、相手の個性と仕事を尊重し、日々の暮らしを共に支える関係がありました。
平野レミさんと和田誠さんの物語は、夫婦の愛情だけでなく、家族の中で創作や思いが受け継がれていく姿も伝えています。 (出典: 平野 レミ 夫(Yahoo!ニュース))