【筋肉と体重の変化】68kgから90kg、プロレスラーの身体はどう作られた?
棚橋弘至さんの若い頃を語るうえで、特に注目されるのが体重の変化です。
大学入学時には68kgだった身体が、大学卒業時には90kgに成長。さらに新日本プロレスの道場でトレーニングを積み、デビュー時には100kgを超える体格になっていました。
この変化は、単に体重を増やしたという話ではありません。プロレスラーとして戦うために、食事、筋力トレーニング、生活習慣を徹底的に変えた結果でした。
棚橋弘至の体重推移を時系列で整理
立命館大学の公式インタビュー、SUUMOタウンの本人インタビュー、フォーネスライフの取材をもとに整理すると、次のようになります。
| 時期 | 体重 | 身体づくりの状況 |
|---|---|---|
| 大学入学時 | 68kg | 本格的なプロレスラー志望へ |
| 大学1年終了頃 | 80kg | 筋トレと食事量を増やす |
| 大学卒業時 | 90kg | 筋肉量を増やした身体へ |
| 1999年4月・入門時 | 90kg | 新日本プロレスの道場生活開始 |
| 1999年10月・デビュー時 | 約102〜103kg | 約半年のトレーニングでさらに増量 |
デビュー時の体重については、フォーネスライフのインタビューでは102kg、SUUMOタウンのインタビューでは103kgと、本人の振り返りに1kgの違いがあります。いずれも100kgを超えていた点は共通しています。
1日7食という驚きの食生活
大学時代の棚橋さんは、筋トレだけでなく食事にも力を入れていました。
立命館大学の公式インタビューによると、当時の食生活は次のようなものでした。
- 1日7食を基本とする。
- 学食では定食と丼ものを組み合わせる。
- 納豆を2パック追加する。
- 部活動やトレーニング後にも大盛りの食事を取る。
- 朝晩にはプロテインを飲む。
通常なら300円程度で済む食堂の食事に、約1,000円分を使っていたというエピソードもあります。
本人が「僕の筋肉はお金がかかってます」と振り返るのも納得の食生活です。
若い頃の筋肉はどのように作られたのか
棚橋さんの肉体改造には、3つの段階がありました。
第一段階は野球を通じた基礎づくり。
中学・高校時代から筋力トレーニングに親しみ、身体を動かす習慣を身につけました。
第二段階は大学での本格的な増量。
プロレスラーを目指すと決めてから、ボディビルの専門誌なども参考にしながら、トレーニングと食事を強化しました。
第三段階は新日本プロレスの道場での鍛錬。
1999年4月に入門すると、寮生活を送りながら練習に取り組みます。
SUUMOタウンのインタビューによると、朝8時に起床して掃除を行い、午前10時から昼過ぎまで練習。その後は洗濯や食事の準備なども担当していました。
身体を大きくするため、道場では1日6食ほど食べていたといいます。
つまり、68kgから100kgを超える身体への変化は、大学での自主的な努力とプロレス道場での集中的な鍛錬が重なって生まれたものでした。
【新日本プロレス入門】入門テストは2度不合格、3回目で合格!
大学時代にプロレスラーになる決意を固めた棚橋さんですが、新日本プロレスへの道は決して順調ではありませんでした。
実は、入門テストに2度落ちています。
3回目の挑戦でようやく合格
初めて入門テストを受けたのは大学2年生のときです。
SUUMOタウンの本人インタビューによると、初回の試験では約35人の志願者が集まりました。スクワットやブリッジなどの基礎体力試験が行われましたが、その回は合格者が一人も出ませんでした。
その後も挑戦を続け、大学3年生の1月に受けた3回目のテストで合格します。
2度の不合格にもかかわらず、本人は心が折れることはなかったと振り返っています。
また、ニッポン放送のインタビューでは、入門テストの厳しさについても説明しています。
試験内容には、スクワット500回、腕立て伏せ50回を4〜5セット、ブリッジ3分などの基礎体力種目が含まれていました。
合格したときには、長州力さんから合格者に関する言葉をかけられたことも印象に残っているそうです。
長州力の言葉で大学卒業を決意
入門テストに合格した棚橋さんは、すぐにでもプロレスの世界に飛び込むつもりでした。
ところが、ここで大きな転機が訪れます。
長州力さんから、大学を卒業してから入門するように勧められたのです。
棚橋さんは大学を中退するつもりだったものの、最終的には卒業を優先することにしました。
SUUMOタウンのインタビューでは、大学4年生になった時点で不足単位が58単位もあったことを明かしています。
プロレスラーになる夢を実現するため、残りの単位を取得して卒業しました。
このエピソードからは、長州力さんの判断と、合格後も大学生活を最後までやり遂げた棚橋さんの責任感が伝わってきます。
1999年4月、新日本プロレスへ入門
大学を卒業した棚橋さんは、1999年4月に新日本プロレスへ入門します。
入門後は東京・世田谷区野毛にある道場の寮に入り、ヤングライオンとして生活を始めました。
ヤングライオンとは、新日本プロレスに所属する若手選手の呼称です。
当時の棚橋さんは、練習をこなしながら先輩レスラーから信頼を得ることに集中していました。
特に受け身の練習には積極的に参加し、先輩から何度も投げられることで、試合に出てもけがをしない技術を身につけていきました。
1999年10月10日、真壁刀義を相手にデビュー
そして、入門から約半年後の1999年10月10日。
棚橋さんは東京・後楽園ホールで、プロレスラーとしての第一歩を踏み出しました。
デビュー戦の相手は、当時の真壁伸也、後の真壁刀義さんです。
新日本プロレスの公式発表や日刊スポーツのデビュー20周年特集でも、この試合は棚橋さんのキャリアの出発点として記録されています。
大学でプロレスラーになると宣言してから、入門テストに2度落ち、3度目で合格。そして大学卒業を経てデビュー。
棚橋弘至のプロレス人生は、最初からスターとして約束されていたものではありませんでした。
【IWGPヘビー級王座から2026年現在】若手時代と引退後を比較
1999年にデビューした棚橋さんは、若手時代を経て新日本プロレスの中心選手へ成長していきます。
その象徴となったのが、IWGPヘビー級王座です。
IWGPヘビー級王座を8度獲得した新日本のエース
棚橋さんは2006年7月17日、IWGPヘビー級王座を初めて獲得しました。
その後も数々の強豪選手と対戦し、王座を奪取。
2011年から2012年にかけての第56代王者時代には、11回連続防衛を達成しました。
2019年1月4日にはケニー・オメガ選手を破り、8度目のIWGPヘビー級王座戴冠を実現しています。
これは歴代最多の戴冠記録として知られています。
また、G1 CLIMAXでは3度優勝。新日本プロレスのエースとして、団体の人気を支えた存在になりました。
2023年12月、新日本プロレスの社長に就任
棚橋さんのキャリアにおけるもう一つの大きな転換点が、2023年12月23日の社長就任です。
新日本プロレスリング株式会社の第11代代表取締役社長となり、選手と経営者の二つの役割を担うことになりました。
立命館大学の公式インタビューでも、社長として所属選手の活躍の機会を広げ、新しいスターを生み出したいという考えを語っています。
2026年1月4日、東京ドームで現役引退
2024年10月14日、棚橋さんは2026年1月4日をもって現役を引退することを発表しました。
そして2026年1月4日、東京ドーム大会「WRESTLE KINGDOM 20」で、オカダ・カズチカ選手と最後の試合を行います。
結果は敗戦でしたが、必殺技ハイフライフローを披露し、最後まで棚橋さんらしいファイトを見せました。
岐阜新聞によると、引退試合当日の観客数は4万6,913人。最後には決め台詞の「愛してま〜す!!」を叫び、大歓声を浴びました。
2026年11月現在、引退後は何をしている?
棚橋さんは現役引退後も、新日本プロレスの社長として活動しています。
引退はプロレス業界からの完全な引退ではなく、リング上で戦う選手生活に区切りをつけたものです。
2026年9月26日付の日刊SPA!では、棚橋さん本人が社長としての現在の取り組みを寄稿しています。
そこでは、現役選手から選手兼社長、そして社長へと立場が変わったことを振り返り、会社経営の難しさや今後の目標について述べています。
特に掲げているのは、プロレスの価値をリングの外にも広げること、所属選手が活躍できる環境をつくることです。
また、2026年6月のニッポン放送の番組では、引退後に現役時代と比べて15kg増量したことも話題になりました。
試合に向けて体重や食事を厳しく管理する必要がなくなり、生活習慣にも変化が出ているようです。
若い頃から筋肉づくりに人生をかけてきた棚橋さんにとって、引退後は身体との付き合い方も変わる新しいステージです。
若い頃と2026年現在の比較
| 比較項目 | 若い頃・現役時代 | 2026年現在 |
|---|---|---|
| 主な活動 | 野球、学生プロレス、プロレスラー | 新日本プロレス社長 |
| 身体づくり | 筋トレと食事による増量 | 引退後の体調・体型管理 |
| 体重 | 大学入学時68kg、卒業時90kg | 引退後に現役時代より増量 |
| 主な目標 | プロレスラーとして成功する | 新日本プロレスの発展 |
| リング活動 | IWGP王座などを獲得 | 2026年1月4日に現役引退 |
| 役割 | 新日本プロレスのエース | 経営者・代表取締役社長 |
現在の棚橋さんを理解するうえで大切なのは、引退をキャリアの終わりと捉えないことです。
若い頃は自分自身の身体と技術を磨き、現役時代は団体を背負い、現在は次世代の選手と組織を育てる立場になりました。
リングの主役から経営の中心へ。活躍する場所が変わったのです。
【棚橋弘至の若い頃】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:棚橋弘至は若い頃、どこの高校に通っていましたか?
A1:岐阜県立大垣西高校です。高校時代は野球部に所属し、甲子園を目指して活動していました。
Q2:棚橋弘至は大学時代に何kgから何kgまで増量しましたか?
A2:立命館大学入学時の68kgから、卒業時には90kgまで増量しました。新日本プロレス入門時も90kgで、デビュー時には約102〜103kgになっていました。
Q3:棚橋弘至の新日本プロレス入門テストは何回目で合格しましたか?
A3:3回目です。大学2年生のときに初めて受験し、2度の不合格を経て、大学3年生の1月に合格しました。
Q4:棚橋弘至のプロレスデビューはいつですか?
A4:1999年10月10日です。後楽園ホールで真壁伸也(現・真壁刀義)選手と対戦しました。
Q5:棚橋弘至は2026年現在、引退後に何をしていますか?
A5:新日本プロレスリング株式会社の代表取締役社長として経営に専念しています。2026年1月4日に現役を引退しましたが、プロレス界での活動は続いています。
まとめ:棚橋弘至の若い頃には、現在のエースにつながる努力があった
棚橋弘至さんの若い頃を振り返ると、現在のスターとしての姿につながる重要な転換点がいくつも見えてきます。
- 大垣西高校では野球部に所属し、甲子園を目指した。
- 立命館大学法学部でプロレス同好会に入り、プロレスラーを志した。
- 大学入学時68kgから卒業時90kgまで身体を大きくした。
- 新日本プロレスの入門テストに2度落ち、3回目で合格した。
- 1999年10月10日に真壁伸也戦でデビューした。
- IWGPヘビー級王座を8度獲得し、新日本プロレスのエースとなった。
- 2026年1月4日に現役を引退し、社長業に専念している。
【プロの結論】
棚橋弘至さんの若い頃を理解するうえで、最も重要なのは、現在の肉体やスター性を生まれつきの才能だけで説明しないことです。
野球少年時代に始めた筋トレ、大学での計画的な増量、学生プロレスで経験した観客との一体感、そして3度目の入門テストへの挑戦。これらが積み重なり、後の「100年に一人の逸材」を形づくりました。
また、68kgから90kgへの変化は大学時代、90kgから100kg超への変化は新日本プロレス入門後というように、時期を分けて理解することも大切です。
2026年の引退後、棚橋さんは選手としての役割を終え、新日本プロレスの未来をつくる経営者として新たな挑戦を続けています。
若い頃の棚橋弘至が自分自身の可能性を広げたように、現在の棚橋弘至は次世代のレスラーが輝ける舞台をつくろうとしているのです。 (出典: 棚橋 弘至 若い 頃(Yahoo!ニュース))